

朝鮮半島を学び、個の人格として人間を見つめる
偏見のありか |
いまさらなのだが、韓国時代劇の再放送を見ている。李氏朝鮮時代を中心に高句麗、新羅、百済が争っていた三国時代のことがわかりやすくドラマになっているので、歴史や風俗、言葉にも興味がわく。
ドラマの中には時折、日本が登場する。百済を扱ったドラマでは日本(倭国)との密な関係がわかるし、やりとりの中で聖徳太子も登場する。豊臣秀吉が朝鮮に出兵したときの王は第14代の宣祖(ソンジョ)。ドラマだとイ・ビョンフン監督の「ホジュン 宮廷医官への道」と重なる。イ監督の作品は「宮廷女官チャングムの誓い」や「トンイ」など構成がしっかりしていて引き込まれ、どんどん深みにはまっていく。
知り合いの編集者・高秀美さんが朝鮮問題研究会の同人誌「海峡」で40年近くにわたって書いてきた文章などをまとめ『踊りの場』(三一書房)として出版した。在日コリアン三世である高さんはこの本で、過去に直面した問題を1つひとつ振り返って記録し、「自分は何者か」という自分自身への問いと向き合っている。そして、同世代人として、同じ日本で同じ時代を生きてきた者として、高さんの葛藤、思いに少しでも近づけたら、と思った。
子どものころ、一番仲のいい友だちの家の近くに廃品回収業を営む在日コリアン一家が住み、「田中」を名乗っていた。その子どものなかに陽ちゃんという1つ年上の先輩がいて、中学校ではバスケットボール部のキャプテンをしていた。細い切れ長の眼を持った人で、かわいがってもらった。陽ちゃんは県立の工業高校に進学したのだが中退し、水戸にある茨城朝鮮初中高級学校に転校した。何があったのかはわからない。その後、陽ちゃんの家はなくなり、一家はいわきの中心街で「モランボン」という焼肉店を始めた。
ヘイトスピーチを思う。歴史を振り返ると、日本は白村江の戦いで百済に味方し、その後、多くの百済人が日本に入った。その流れで渡来系氏族も多く存在する。朝鮮の人や文化は日本にとって、なくてはならないものだった。それが明治、大正、昭和と移り変わるに連れて、朝鮮の人たちへの見方が大きく変化し、民族に対する偏見へと変わっていく。
そうしたなかで在日コリアンの人たちは自己矛盾を抱えながら、トラブルを避けるために息を潜めるようにして、この日本で暮らしてきた。いつも感じることなのだが、どうしてアジア人同士と考え、個としての人格を見ようとしないのだろうか。
新聞記者になってから、なじみの飲み屋で、本名を名乗って銀行員をしている陽ちゃんと再会した。「陽ちゃん」と呼ぶと、中学時代と同じように「おう、安竜。元気か」と細い眼がさらに細くなり、ビールをついでくれた。
(安竜 昌弘)
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