

『陽だまりの昭和』を読み
人やまちが輝いていた穏やかな時代に思いを馳せる
昭和100年 |
川本三郎さんの『陽だまりの昭和』(白水社・2400円+税)を読んだ。ラジオ、映画館、喫茶店、銭湯、ガリ版など、身近にあった昭和の小市民の暮らしを、映画や文学などから紐解いている。味わいがある。
川本さんが光を当てているのは、政治家や軍人などによって引き起こされた暗澹たる戦争の記憶ではなく、市井の人たちの穏やかな暮らしや風俗。そして「『暗い昭和』が死に向かうとすれば、『陽だまりの昭和』は生が輝いている」と書く。
確かに、個人商店が連なり、原っぱで三角ベースの野球を楽しんでいた頃は時間がゆったりと流れ、屈託のない明るさがあった。
テレビの黎明期、わが家にはテレビがなかったので、力道山のプロレス中継がある日は、近所のテレビがある家で見せてもらっていた。茶の間は人だかりで、まさに西岸良平の「三丁目の夕日」の世界。家の近くにも子どもたちが集まる駄菓子屋があった。海が目の前なので、集落の上級生がリーダーになって泳ぎ、下級生に目を光らせた。
小学校ではガリ版で学級新聞を作った。鉄筆で原紙に書く文字は升目をはみ出さないように角張った文字でなければならない。タブレットを持っている、いまの小学生とは大違いだが、他のクラスとの競い合いが励みになり、達成感があった。
いま、昭和がブームだという。カフェではなく喫茶店、シネコンではなく映画館、ホテルではなく旅館…。そこには必ず人がいて、交流が生まれる。コロナ以降、人との関わりがどんどん減り、注文や支払いを機械ですることが多くなった。この砂を噛むような味気ない時代にあって、昭和の温かみや人情が求められているのだと思う。
同じころ地域紙に入った仲間はよく、東京の大学に進学して喫茶店に入ったときのことを、面白おかしく話していた。コーヒーが運ばれてきて、ウエイトレスに「ミルクと砂糖はいかがなさいますか?」と尋ねられ「ごでっちり(たくさん)お願いします」と方言で返したら、きょとんとされた、というのだ。確かに当時は、砂糖やミルクは、ウエイトレスが丁寧に入れてくれていた。
川本さんはこの本の「風呂敷」のページで「初老の文人が洋服姿で一人、夜の町を風呂敷包みを抱えて歩く。そこには枯淡の風流がある。(中略)現代のもの書きである私が、こういう町歩きの時、ジーンズにスニーカーであるため、トートバッグにしているのは、なんとも仕方ない。風呂敷が似合った昔の文人たちが羨ましい」と書いている。
ことしは昭和100年。本を読み終え、「あとがき」の日付が2024年(昭和99年)になっていることに気づいた。川本さんらしい。
(安竜 昌弘)
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