

敗者や弱者にそそぎ続ける温かい眼差し
| 川本さんの背中を追う |
NHK朝の連続テレビ小説「あんぱん」で主人公の妹を演じている河合優実(朝田蘭子役)の評判がいい。主要な登場人物は、やなせたかしの「アンパンマン」に出てくるキャラクターをモチーフにしているのだが、河合の役はアンパンマンの妹・ロールパンナ。生まれたときに、まごころ草とバイキン草が入ってしまい、正義と悪、2つの心を持つ女の子、と設定されている。
ドラマの中で印象深いシーンがある。雑誌に映画評論を書くようになった蘭子が、出入りしている会社(サンリオがモデル)の社長・八木信之介(妻夫木聡)に言われる。
「君は映画が好きで映画評を書くようになったんだよね。最近の記事はけなしてばかりいるね」。すると蘭子が「賞賛しても読者の目を引きませんから」とやり返す。すかさず八木が「注目されればそれでいいのか。独自の視点で作品そのものを批評するのはいいが、監督や俳優をこき下ろして楽しいか。試写室であら探しばかりしているんじゃないか」と二の矢を放つ。でも蘭子は引かず、「世間はそういうのを喜ぶんです」と反抗する。最後は「そんな見方をして一番不幸になるのは映画を愛している君なんだよ。失礼、気にさわったかな」と収める。
このやりとりを見ていて頭に浮かんだのが、川本三郎さんだった。もちろん、川本さんは八木のように若手の映画評論家に意見することはないと思う。でも、八木の言葉は、川本さんが書く映画評論を思わせる言葉だった。
川本さんは朝日新聞を辞めてから、評論とエッセイを中心に筆一本で生きてきた。映画、文芸、鉄道、旅、町歩き…。執筆の基本は、対象への愛。愛では気恥ずかしいので、寄り添う心と言い換えてもいい。山とある対象の中からすくい上げたものこそが川本さんの評価で、自らの分を守り、その範囲の中で興味を持ったものを深めていく。その姿勢にずいぶん影響された。
地域紙に入って少しだけ一人前になってきたころ、批判記事を書くようになった。県や市の提灯記事で紙面を埋める編集方針に反発し、バッサバッサと切り捨てた。それがジャーナリズムの役割だと思い、「行政に一目置かれる存在になりたい」と思った。その背景には、記者クラブに所属していない弱小新聞の記者という立場があった。「仕事は名刺でしてはいけない。記者個人がするもの」と後輩たちに言った。肩に力が入り、粋がっていたのだろう。
そうしているうちに年を重ねて仲間と「日々の新聞」を始め、平行して川本さんの新刊が出ると買い求めて読み続けた。特に「あとがき」は川本さんがそのときどきの思いを綴っているので、何回も読む。川本さんが「朝日」を辞めたころのことを書いた『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』はこれまでに文庫も含めて4冊出ているのだが、うち3冊には川本さんの新たな「あとがき」が入っている。初版が出てから37年。川本さんは81歳になり、17年前に奥さんの恵子さんを亡くした。そうしたなか、川本さんの眼差しはずっと、弱者や敗者に向けられている。その目が優しい。
若いころ、力もないのに権力に立ち向かって溜飲を下げていた自分は特ダネ競争から下り、他の新聞が扱わない記事を探して光を当てるようになった。声なき声や知られていない歴史をすくい上げ、テレビや一般紙がセンセーショナルに扱うニュースは視線の外に出す。そこには、9年先に生まれた川本さんの背中がある。
やっと、新潮選書の『荷風の昭和』(前・後編)を通読し、小川洋子さんと持田叙子さんの十分すぎる書評も読んだ。『断腸亭日乗』をはじめとする永井荷風の作品や先人の荷風論を読み解いては荷風が歩いた場所を訪ね、独自の視点でその心に思いを馳せてきた川本さん。そうした作業は新たな荷風像を生み、従来のイメージを変えた。荷風も喜んでいると思う。
もう1つ、川本さんは「東京人」の最新号で「時には楽し、ひとりの暮らし。」と題して現在の生活ぶりや心境を書いている。そのなかで、メイ・サートン(アメリカの女流詩人・作家)の『独り居の日記』についてふれ、山田太一脚本のドラマ「今朝の秋」での、笠知衆の言葉を自らの日々や思いとして投影している。
「先のことを考えても仕方ない。いま、このときを楽しめ」
(安竜 昌弘)
そのほかの過去の記事はこちらで見られます。
