022回 マイアミにいる友(2006.1.31)

大越 章子

 

画・松本 令子

休職して臓器移植の現場で学ぶ

マイアミにいる友

「仕事を1年休職して、春からアメリカで勉強する予定です」。新聞記者をしているヒロコから便りが舞い込んだのはちょうど1年前だった。奨学金を受けながら、臓器移植の現場でその現状を学ぶという。語学に堪能で言葉は心配ない。それに持ち前の行動力。ヒロコらしい選択だった。
 10年ほど前、ヒロコが転勤でいわきに来て、親しくなった。圧倒的に男性が多い記者の世界で、たまにお酒を飲みながら、女同士語り合った。深夜戦になりそうな気配の取材現場で会うと、腹ごしらえにと食堂に駆け込み、とんかつを頬張りながら「私たちって」と顔を見合わせて苦笑いした。
 その後、ヒロコは本社に戻り、県政、社会部と歩き、このところは遊軍で医療分野を担当していた。そして、胆道閉鎖症による肝硬変が進行し、肝臓移植を受ける必要のあった富岡町のミキちゃんと出会った。募金活動をして資金を集め、ミキちゃんは3年前、アメリカで脳死肝移植の手術を受け、いまは元気に学校に通 っている。
  予定通り昨春、ヒロコはマイアミで生活を始め、マイアミ大学で学んでいる。お互い気が向くと、メールで近況を報告する。11月ごろだった。水戸に住むアヤカちゃんという赤ちゃんのことにふれたメールがヒロコから届いた。
 アヤカちゃんは全腸管壁内神経細胞未熟症という珍しい病気で、1月に生まれてからずっと病院で生活していた。9月には肝硬変になって医師から余命を宣告された。そんな時、両親がテレビで移植手術のことを知り、海外での移植の道を探り始めた。問題は資金。そのための募金活動が始められたことがヒロコのメールに書かれていた。
 ヒロコのマイアミ大学での教官はカトウ先生。ミキちゃんの執刀医で、12月にはアヤカちゃんの移植手術もした。たぶんヒロコはあのバイタリティーで、できる限りの縁の下の力持ちをしたはず。心配された資金は、サッカーファンのお父さんのサポーター仲間たちが頑張り、2週間で1億3千万円を集めた。
 この春には留学を終えて、ヒロコは帰国する。帰ってきたヒロコが何を始めるのか、何を取材してどんな記事を書くのか。1年ぶりの再会を楽しみにしている。  
 

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