ほろ苦いはずなのに勇気もらえる
合格発表 |
その日、早起きして一番電車に乗った。バックには朝食のおむすび、受験勉強しながらよく聞いていたカセットを入れたウォークマン、家族や友達に朗報を伝えるための小銭、それから、その日が締め切りの予備校の入学申し込み用紙が入っていた。
家族にも先生にも複数受験を勧められたけれど、大学は「絶対に絶対に行きたい」1校しか受けなかった。志望校以外の大学に行っても意味はないように思え、自分の意志を頑固に通 した。だから合格発表はちゃんと見に行きたかった。結果はどうあれ、自分の目で発表を見ることがゴールでスタートだった。
駅の改札を出て、大学行きのバスの時刻表を眺めた。発車までかなり時間があった。どう時間をつぶそうか思案していると、「合格発表を見に来たんですか?」と声をかけられた。「よかったら、みんなでタクシーに乗りませんか」と誘われ、4人で相乗りした。
タクシーのなか、自己紹介が行われた。互いにこの日のために頑張ってきた受験生同士、すぐに打ち解けた。一通 り自己紹介が終わると、相乗りを誘った男性が言った。「君、何浪?」。「現役です」。答えると、「僕はここを受けるのが3度目なんだ。いまは別 な大学に行っているけど、諦められなくてね。この大学は魅力あるよ」と言った。
大学の本部そばでタクシーは止まり、「それじゃ、キャンパスでまた会おう」と、4人はちりぢりになった。
高校2年の夏休み、家族と初めて大学を見に来た。正門でキャンパス地図を四枚もらい、車で1周した。キャンパスはどこまでも続き、1つのまちだった。日本全国から学生が集まってくる総合大学というのも気に入った。もらった四枚の地図はつなげて、自分の部屋の机の前にはった。
秋には学園祭に遊びに行き、在学している友達のお兄さんに1日、キャンパスを案内してもらった。手づくりのプラネタリウム、酵素の実験、美術展、気持ちのいい図書館、大きな池の前で食べたバナナチョコ、すべてに満足し、「絶対、この大学に入りたい」と思った。シンプルでセンスのいい学園祭のポスターをお守りにもらい、キャンパス地図の上にはった。
それから心は揺らがなかった。志望校はただ1つ、この大学だけだった。この大学に入れば、探している何かが見つかりそうだった。
山からの強い風が吹くなか、合格掲示板の前に立った。目をつむって深呼吸して、それから番号を探した。取材に来ていたテレビ局のクルーが近づいてきて「いかがでしたか」と聞いた。いくら探しても番号はなかった。一番近い前と後ろの番号の間に、ずぼっと大きな穴があいていた。
それから浪人生活は2年続いた。「おめでとう」の電報が届いたのは、「絶対に絶対に行きたい」大学からではなかった。いまなら「大学を選ぶときは大学にこだわるより、何を学びたいかよ」と言える。それでも、思う大学に行きたくて頑張っている姿を見ると、応援したくなる。
あの合格発表の風景を鮮明に覚えている。ほろ苦いはずなのに清々しくて、勇気がもらえる。
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