036回 せんせい(2010.3.15)

大越 章子

 

画・松本 令子

いまの気持ちを忘れずに

せんせい

 神戸の中高一貫校の灘中学・高校の教壇に立って、50年間、国語を教えていた先生がいる。橋本武さん。1912年生まれの橋本さんは71歳まで国語教師をし、灘高校を初めて東大合格者日本一にした。
 その授業は、中学の3年間をかけて中勘助の小説『銀の匙』を読む、とてもユニークなものだった。少年時代の思い出を自伝風に綴った200ページの物語は、子どもの感情が体験したまま素直に、美しい文章で描かれている。橋本さんは、生徒自身が物語にとけ込み、主人公になって読めると思ったという。
 授業を始める1年前から橋本さん自身が勉強を始め、1つ1つ言葉の意味を調べるなどして、「銀の匙研究ノート」をつくった。明治を舞台にしていて生徒には実感がわかないため、明治時代の子どもが食べた物を神戸のまちで探して食べさせ、百人一首や凧揚げの場面が登場すると、生徒たちにも凧などを作らせ追体験させた。
 1学期に3ページしか進まないこともあり、「こんなことで受験勉強は間に合うのか」「読み終わらないんじゃないか」などの声もあった。しかし橋本さんは、興味のあるものを追究することに重きを置いた。自分の方から気持ちを起こし、求めていく姿勢を教えたかった。橋本さん自身、帰宅すると机の前に座って長時間、勉強した。
 主人公の少年が祭りに行く場面で「しじんけん」という言葉が出てきた。いろいろ調べてみてもわからない。橋本さんは思い切って中勘助に手紙を書いた。すると「しじんけんとは、祭りの時に飾る獅子の頭のことです」と、細々と記された本人からの返事が届いた。生徒たちにもわからないことがわかった時の喜びを体験してほしかった。
 甲子園球場はどうして甲子園なのか。それは野球場が完成した大正13年が甲子の年だったから。それを知ると、意味のなかった言葉が意味のあるものになる。魚のついた漢字に凝ったこともある。魚がつく漢字は678字ある。生徒が喜ぶものを教え、面白いと思ったら飽きるまでやった。

 わたしにも忘れられない先生がいる。中学時代、3年間ずっと担任だったサンゾウさん。「西遊記」の三蔵法師に引っかけて、生徒たちの間でそう呼んでいた。別名は数学の神様で、手ぶらで教室に入って来て「サンマが1匹、2匹」と、黒板にサンマとは思えない魚の絵を描いて数学の授業をした。
 その時々、サンマはいつの間にか円周率になり、二次方程式に変化し、時には高校で学ぶ数学の世界に入り込んだ。数学の神様にはさらに別名があって、受験の神様でもあった。1年生の時から毎学期の中間、期末試験、それに業者テストのほかに毎月、5教科の月例テストを設け、数学は平均60点以下なら、長期の休みに課外を受けなければならなかった。もちろん3年生になると朝と放課後に、能力別の5教科の課外が行われた。
 高校入試を1、2カ月後に控えると、サンゾウさんは「いまの勉強をあと3年続けなさい。そうすれば君たちそれぞれの夢はかなう」と、よく話していた。それから「3年後のいまごろ、毎朝、新聞を見ながら君たちの名前を探すから」と。
 あのころ職員室を歩き回ってお世話になった先生たちに、卒業アルバムの見返しに言葉を書いてもらっていた。サンゾウさんにアルバムを差し出すと「合格発表の日に持っておいで」と言われた。発表の日、サンゾウさんが書いてくれたのは「いまの気持ちを忘れずに」だった。
 それから十数年後、サンゾウ先生は亡くなった。元気でいらしたなら話したいことがたくさんあるのにと、春が巡ってくるたびに思う。

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