人生はリレー競争のようなもの
木を植えた男 |
東京都現代美術館のフレデリック・バック展に出かけた後、久しぶりに絵本棚から『木を植えた男』(あすなろ書房)を取り出して開いた。
南仏のプロヴァンス地方の荒れ地に、毎日毎日、黙々とどんぐりを植え続けた羊飼いのはなしで、歳月の経過とともに荒れ地は林となって小川のせせらぎが蘇り、やがて廃墟だった村に甘いそよ風が流れ、人が暮らし、噴水がつくられ、再生を象徴する菩提樹も植えられた。
フランスの作家ジャン・ジオノが1953年に書いた短編小説。自国のほかではあまり知られていなかったこの物語を、バックが87年に映画化した。色鉛筆の細密な絵のアニメーションは、静かに流れるように羊飼いの行為と荒れ地の変化を伝える。その後、映画をもとに新たに描き、絵本も作られた。
バックが『木を植えた男』を初めて読んだのは74年ごろ。見返りを求めず、黙々とどんぐりを植える羊飼いの姿に感動した。お金はないけれど、精神的には満ち足りたくらし。最も本質的なものとだけ正面 から向き合う生き方が素晴らしいと感じた。
人は所有することで幸福を得ようとするが、その所有欲は制限がない。失ったものに気づくと、必要もないのにほかの人から取ろうとする。ジオノの哲学に共感したバックは、その所有欲の不条理を表現しようとした。
ジオノの作品の多くは生涯暮らしたプロヴァンス地方を舞台に、体験をもとに書かれている。「木を植える」も繰り返しテーマにしている。少年時代に父と一緒によく山に登り、どんぐりを植えたという。2度の大戦を経験し、第一次大戦では徴兵されて激戦地に送られ、帰還後、文芸雑誌に散文詩などを発表した。
それから物語を書き始め、人間を取り巻く大自然の美しさや神聖さを描いたが、第二次世界大戦後は社会との接触を避け、書斎に引きこもって人間、それも現在ではなく過去の人たちを描いた。そして53年、アメリカの雑誌社から「これまでに出会った最も並はずれた実在の人物」というシリーズの執筆を依頼された。
ジオノは20年以上温めていた「木を植えた男」を書いて送ったが、フィクションだったために原稿は送り返され、結局、別 なアメリカの雑誌に掲載された。そんなことがあったからか、バック自身、『木を植えた男』を実話と勘違いし、事実を知った時はがっかりしたという。
思い入れのあるその本を、バックは何度も何度も読み返し、その度に感動して、何年もかけてシナリオを書き、5年ほど製作に専念して映画を完成させた。モントリオールから120km離れた山の家に、バックはたくさんの木を植え「ジオノの森」と名づけている。
『木を植えた男』の絵本のページをめくっていると、地道にどんぐりを植える羊飼いと、その羊飼いの物語を生み出したジオノ、物語に感動して映画化し、世界の多くの人々に伝えたバックの人生が交差する。
「わたしにとっての人生はリレー競争のようなもので、だれかから受け取ったバトンを引き継ぐのが使命」。雑誌のインタビューで、バックはそう語っている。
世界中にたくさんいる『木を植えた男』にふれた人々。それぞれどんなバトンを受け取り、どんなバトンにして渡すのか。中継ぎランナーの役割、生き方が問われる。もちろん、わたしも。
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