いまも色あせていない職人の手仕事
花森 安治さんのこと |
これは あなたの手帖です
いろいろのことが ここには書きつけてある
この中の どれか 一つ二つは
すぐ今日 あなたの暮らしに役立ち
せめて どれか もう一つ二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて こころの底ふかく沈んで
いつか あなたの暮らし方を変えてしまう
そんなふうな
これは あなたの暮らしの手帖です
「暮らしの手帖」の表紙を開くと必ず、右の頁にこの散文が記されている。初代編集長の花森安治さんが書いた宣言文で、昭和23年9月の創刊号から毎号、掲載されている。新しい「暮らしの手帖」が出る度に、この呪文のような文章をまず確認する。たぶん、それは作り手も同じで、表紙をめくって襟をただしている。
花森さんは自らも取材をし、写真を撮り、原稿を書いて、レイアウトをし、表紙絵を描き、カットを画き、校正をして、何から何まで自分の眼を通 して自分の手を加え、ぎりぎりまで印刷会社に渡さなかったという。
「暮らしの手帖」100号の巻末には「雑誌作りというのは、どんな大量 生産時代で情報産業時代で、コンピュータ時代であろうと、所詮は〈手作り〉である。それ以外に作りようがないということ。ぼくはそう思っています。だから、編集者はもっと正しい意味で〈職人(アルチガン)〉的才能が要求される」と書いている。
たえずものを考え、手を動かし、何かをつくる。花森さんは、日本文化の特質は職人にあるという信念を持ち、自ら職人であろうとした。
花森さんは1911年(明治44年)に神戸で生まれた。神戸3中から1浪して松江高校に入学した。神戸3中の1年先輩には、映画評論家の淀川長治さんがいる。東大の美学科で西洋衣裳史を学び、大学新聞の編集部員でもあった。
戦争中は大政翼賛会の宣伝部で仕事をし、戦後、暮らしの手帖社の初代社長の大橋鎭子さんから「女の人の役に立つ出版をしたい」相談され、5人で衣裳研究所をつくり、「スタイルブック」を出版した。その後、似たようなスタイル誌がほかからぞくぞく出され、「暮らしの手帖」を創刊した。
創刊号にこんな文章がある。
美しいものは、いつの世でもお金やヒマとは関係ない。みがかれた感覚と、まいにちの暮らしへの、しっかりした眼と、そして絶えず努力する手だけが、一番うつくしいものを、いつも作り上げる。
花森さんはできるだけやさしい言葉で、大切なことをさりげなく伝えた。詩のような独特のリズムのある文章でわかりやすく、骨太のアイデンティティを感じさせる。言葉の響きを大事に簡潔さを心がけ、自分の法則を持っていた。
どれくらい前からだろう。「花森ノート」をつくり、本や雑誌で目にした花森さんのことや言葉、気に入った文章などを機会あるたびに書き留めている。まだまだノートは未完成だが、たまにぴらぴらめくり、その時々、教えられたり、叱られたり、励まされたり。そして、あこがれてもいる。
花森さんは1987年、心筋梗塞で亡くなった。65歳だった。100号の巻末に「死ぬ 瞬間まで編集者でありたい」と書いた通り、最期まで暮らしの手帖の編集長だった。
絶筆は「人間の手について」で、原稿は仕上がっていなかったが、ナイフで鉛筆をきれいに削ること、はしをちゃんと持つこと、ひもをきちんと結べることも人間の手のおおきな勉強で、そういうことも、なにが美しいのか、なにがみにくいのか、という美意識をつちかってゆくものなのだ、と書いてあった。
「ジャーナリストにとって一番怖いのは甘えと慣れ」。花森さんは自身が語っていた通 りの生き方をした。生きていれば、ちょうど100歳。花森さんの手仕事はいまも色あせていない。
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