057回 動物会議(2012.1.31)

大越 章子

 

Illustration・Reiko Matsumoto

だれでも昔は子どもだった

動物会議

 『エミールと探偵たち』や『ふたりのロッテ』の作者で知られるエーリッヒ・ケストナーが50歳の時に出版した『動物会議』という作品がある。

 第2次世界大戦後、各国の首脳たちが集まって、世界平和のための国際会議を何度も開いていた。しかし成果は少しもあがらず、決裂に終わってばかり。業を煮やした象のオスカルが世界中の動物たちに電話をかけ、動物会議の開催を提案する。
 動物会議のテーマは「子どもたちのために」。首脳たちの87回目の国際会議と同じ日に会議を開き、「国々の境を飛び越えてほしい」と要求するが、首脳たちに拒否される。やむなく動物たちは最後の手段に出て、子どもたちを1人残らず隠してしまう。
 そしてオスカルが声明を発表する。
 「こうなったことの責任は、みなさんの政治家にあります。文句があれば政治家に言ってください。ぼくたちはもう堪忍袋の緒が切れました。これ以上何もしないで見ているわけにはいかない。みなさんの政府が子どもたちの未来を、やれ紛争だ、戦争だ、陰謀だ、金儲けだと言って危険にさらし、ぶちこわしにしています」
 首脳たちはついに永久平和の条約に調印する。

 ケストナーが『動物会議』を書いたのは、第2次世界大戦が終わって間もなくだった。ドイツで生まれ、ナチスが勢力を広げ始めたころから痛烈な風刺的批判をしていたため、ヒトラーが政権に就くと同時に、執筆を禁止された。2度の逮捕などいのちの危険に脅かされても亡命はせず、ナチスへの協力を拒み、ドイツで抵抗を続けた。
 1945年、ドイツは無条件降伏し、暫定措置で4カ国に分割占領された。そのうちに冷戦が始まり、49年には西ドイツと東ドイツが成立した。ドイツが東と西にわかれたその年に『動物会議』は出版された。だからオスカルの声明は、ケストナーの怒りの声に思えてならない。

 東電の福島第一原発の事故後、多種多様な会議が数限りなく開かれているが、いまだに明確な原子炉の状況は説明されず、放射能対策も後手後手、責任の所在すら不明瞭で、原発をとりまく世界は事故前とほとんど変わっていない。
 そこにはそれぞれの立場や利権、思惑があるからで、それらをすべて取り払い、動物たちのように「子どもたちのために」を会議のスローガンに掲げれば、話し合いは間違った方向には行かないはず。それができないなら、世界中の叡智を結集させた良識的な動物会議が必要だろう。
 ケストナーは言っている。「だれでも昔は子どもだった」。

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