あとから気づくかけがえのないもの
忘れられない贈りもの |
4月末の朝早く、電話が鳴った。叔父が亡くなったという。突然の知らせに半信半疑で、急いで叔父の家に向かった。出迎えたいとこの顔を見た途端、涙がこぼれた。
64歳、具合が悪いような話はしていなかった。前の日も家族でおいしく夕食をとり、いつもと変わらず床に就いた。ところが午前1時ごろ「胸が苦しい」と家族を起こした。救急車で運び診てもらったが、四時ごろに息を引き取った。心不全だった。病院から帰ってきた叔父は、いまにも目を覚ましそうな顔をしていた。
あとで叔母が叔父の机を片づけていて、数年前の健康診断の結果 を見つけた。心電図、胸のレントゲン、血液検査の数値など、要精検が多かったという。病院で何か言われるのが怖かったのだろう。叔父は引き出しにこっそりしまって、だれにも言わずにいた。
49日は過ぎたけれど、まだ叔父の死が信じられない。人の死は大概にそうで、時間の経過とともに確認しながら受け入れていくのだが、あまりに突然だったから何か落ち着かない。いつも頭のどこかにあって、時々、家族や親戚 と叔父の思い出を話している。
それはちょうど、スーザン・バーレイの『わすれられないおくりもの』のアナグマの思い出を語り合う動物たちみたいで、それぞれに叔父との思い出にふけりながら、生きざまや人柄、残してくれたものなどを、あらためて感じている。
わたしはまず運転免許のこと。車は乗る人でいいと思っていたわたしが運転しているのは、叔父のおかげだった。「見学するだけでいいから」と、知人のいる自動車学校に連れて行ってくれた。その日のうちにハンドルを握り、教習コースを走った。たぶんあの時、叔父に背中を押されなければ、車の運転はできなかった。
笑い話もある。ずいぶん前になるが、同じ料理屋に居合わせて、どんぶりの蓋でお酒を飲む姿をひそかに目撃され、親戚 が集まった場所でそのたまたまの出来事を暴露された。家族に格好のいいところを見せて驚かせたいからと、結婚式の祝辞の代筆を頼まれたこともあった。
そんな思い出話をみんなでしていると、そばで叔父が照れながら聞いているような気がする。そして「おしゃべりだな。代筆のはなしは秘密にする約束だろう」と、ぶつぶつ言っているはずだ。
絵本の動物たちは思い出を語り合いながら、アナグマが宝物になるような智恵や工夫をそれぞれに残してくれたことに気づく。そしてアナグマがいなくなった後も、その智恵や工夫で互いに助け合い、いつしか悲しみも消えた。
普段は意識しないけれど、わたしたちは日々暮らしながら、いろいろな人と忘れられない贈りものの交換をしている。
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