075回 スイミーの海(2013.7.31)

大越 章子

 





違うことはすてき。多様な価値観を認める

スイミーの海

 東京に出かけたついでに、渋谷のBunkamuraの美術館で「レオ・レオニ展」を見た。土曜日の夕方6時、ゆったり見られるだろうと思っていたが、けっこう大勢来ていて、それもお話を読みながらなので、進む速度はゆっくりで長い列ができていた。
 原画から、レオ・レオニの仕事の丁寧さがよくわかる。切り紙のねずみは柔らかさを出すために胴体だけ手でちぎり、消しゴムなどでスタンプを作って、独特の質感を出し、波や地面 は美しいマーブルで表し、隅々まで絵本作りを楽しんでいる。
  もともとレオ・レオニ(1910-99)はニューヨークで活躍するグラフィック・デザイナーだった。1955年にMOMA美術館で開催された写 真展「The Family of Man」のカタログの表紙などもデザインしている。デザインすることは社会的な責任を伴うもの。そうレオ・レオニは考えていたという。
  そのレオ・レオニが絵本作りを始めたのは49歳の時で、混んだ電車のなかで孫たちを退屈させないために、持っていた雑誌を手でちぎって、即興でお話を語った。それがデビュー作の『あおくんときいろちゃん』だった。光村図書の小学2年生の国語の教科書に載っている『スイミー』は4作目の絵本。それ以降、絵本作りに楽しみと情熱を傾けられるようになった。 
  赤いさかなの兄弟のなかで、たった1匹だけ真っ黒だったスイミー。巨大なまぐろにみんな呑み込まれてしまったなか、スイミーだけが逃げることができた。ひとりぼっちでさまよいながら、さまざまな生き物に出会い、美しさを感じ、生きる力を取り戻していく。
  そして大きなさかなにおびえて岩陰で暮らす、兄弟に似たさかなの群れを見つけた時、「いつまでも、そこにじっとしているわけにはいかない」と、スイミーはある考えを思いつく。みんなで力を合わせて大きなさかなを追い出す作戦だった。
  スイミーのものがたりには「違うことはすてきなこと」というレオ・レオニのメッセージもこめられている。オランダ生まれのユダヤ系だったレオ・レオニはイタリアからアメリカに亡命し、晩年はイタリアとアメリカを行き来して過ごした。そんなこともあって、生涯、「わたしは何者なのか」を探し続けたという。それは多様な価値観を認めることでもある。
  展示の後半、スイミーが暮らす海が再現されていた。3台の映写 機を駆使したスクリーンの前に座ると、巨大な水槽が広がる。しかし立ち上がってスクリーンに接近すると、途端に赤いさかなたちは反応して逃げ惑い、巨大なまぐろにでも変身したかのような錯覚に陥る。
  海のなかはなんて美しく、気持ちがいいのだろう。時間はゆっくりゆっくり刻まれていて、光がすっときらめき、水が揺らめき、時折、ひんやりした感触が伝わってくる。無心に眺めていると、肺呼吸するのを忘れそうになり、大昔、海で暮らしていた記憶を、体の深部のDNAがよみがえらせる。
  750匹のさかなたちが棲んでいて、動きは実際のさかなの動作をプログラミングしているというスクリーンの海。見つめていると涼しい気分になり、いつの間にかスイミーの世界に入り込んで、それぞれが自分のものがたりを作れそうに思う。
  それもレオ・レオニのマジックなのかもしれない。

画・松本 令子

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