076回 俵屋の石けん(2013.9.15)

大越 章子

 

画・松本 令子

丁寧な暮らしと日本文化を伝える

俵屋の石けん

 手のひらにのる、ましかくの包み。まんなかに「京都 俵屋旅館」とある。和菓子にも見えるけれど、なんとも感触がずっしり堅い。その金色の包みをあけてみると、やわらかで日本的で、自然ないい香りが漂う。 
  なぞなぞのようだけれど、その包みの正体は、京都の老舗旅館「俵屋」の石けん。30年ほど前に、主人の佐藤年さんが俵屋らしい石けんを花王に相談して、共同で開発した。村松友視さんの著書『俵屋の不思議』によると、年さんはフランスなどの最高級ホテルの石けんをイメージしたという。
  俵屋の香りとは、どんなにおいだろう。日本的で美々しく、魅力のある余香…。試行錯誤の末、ローズ、ジャスミン、ラベンダー、パチュリー、サンダルウッドと多数の植物精油に、ムスクなどの天然香料を20数種類ブレンドして完成させた。 
  ましかくの石けんの表には「京都 俵屋旅館」と刻印され、裏には花王のマークが入っている。いまでは俵屋のこだわり、心づくしが表れているアメニティとして広く知られ、京都のお土産にも喜ばれている。

  昨年夏に京都に出かけた際、俵屋で石けんを求めた。下調べでは、旅館そばの「ギャラリー遊形」に俵屋の日常の品々が置かれていて、購入できるようだった。空いた時間にと思いながら夜になってしまったため、散歩がてら興味津々、本能寺の近くにある俵屋を訪ねた。
  両側に提灯が照らされたそう広くない入口から、打ち水された敷石を踏んで玄関に入った。薄明かりの空間。昔はどこもこのぐらいの明るさで、夜を過ごしたのかもしれない。幻想的で、夢のなかにいるみたいだった。
  たぶん同じような観光客がいるのだろう。「石けんがほしいのです」と言うと、快くわけてくれた。土間に腰を掛けて待っている間、こだわりのたたずまいをきょろきょろ眺め、働く人々の姿を追い、夢うつつの世界を楽しんだ。
  それから、ずっしり重たい手提げ袋をさげて、夜の京都のまちを探険した。

  以来、身の回りの石けんはすべて、俵屋のものにしている。いい香りがするので、洗面 台、お風呂場、それに自室とあちこちにも置いている。いつの間にか、洗顔にも使うようになり、なくなるとギャラリー遊形に連絡して送ってもらっている。
  6個入りで1365円の石けん。製造元の花王からすると、手間がかかり、コスト高で、出荷の少なさは経営的にお荷物になり、これまで何度か存続の危機があったという。その度に、年さんはじめ周囲の人たちが「日本の香りの文化を消さないでほしい」と守ってきた。 
  およそ5cm四方の小さな石けんは日々、丁寧な暮らしと日本文化のすてきさを教えてくれている。そしてそこには、人々の熱い思いが込められている。

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