いつまでも福島を思い、行動する
朗読会 |
終戦記念日の夜、NHKのEテレで、吉永小百合さんと坂本龍一さんの「ミュージックポートレート」を見た。人生で大切な10曲を互いに持ち寄り、それぞれの半生を振り返る番組で、その夜は後半の5曲が紹介された。
東京大空襲の3日後に生まれた吉永さん。1981年からドラマ「夢千代日記」で、広島で胎内被爆して原爆症に苦しむ主人公を演じた。それをきっかけに86年、原爆詩の朗読会に参加し、以後、ライフワークとして原爆の詩の朗読を続けている。
吉永さんが人生で大切な10曲の8曲目に選んだのは、よく朗読している栗原貞子さんの「生ましめんかな」。原爆が投下された夜、広島市千田町の郵便局の地下壕で実際に起きた出来事を、栗原さんがイメージを膨らませて作った詩で、村治佳織さんのギター演奏をバックに、吉永さんが朗読する映像が流れた。
坂本さんは2001年、アメリカの同時多発テロを現場近くで体験し、本物の恐怖を知ったという。しばらくの間、街から音楽が消えたニューヨークで、平和でなければ音楽は響かないことに気づいた。
10年後、吉永さんの原爆の詩の朗読のバックで、坂本さんがピアノを弾き、ふたりは初めて共演した。翌年、福島第一原発の事故が起き、その秋にはイギリスのオックスフォード大学の教会で、ふたりの朗読音楽会が開かれ、核と人間は共存できないことを伝えた。
その際、坂本さんは「Merry Christmas, Mr. Lawrence」(「戦場のメリークリスマス」のメインテーマ)を演奏し、吉永さんはその曲がイギリスから世界に流れていったような気がした。9曲目の「いまの自画像」をイメージする曲に、吉永さんはこの曲を選んだ。
坂本さんが選んだのは、ドイツのテクノユニット「クラフトワーク」が70年代に作ったアルバム「Radio-Activity」(放射能)だった。
つい先日、チケットをいただいて、アリオスで開かれた吉永さんの朗読会に出かけた。いわきを訪れたのは2度目で、全国でコンサートをしていた40数年前、常磐ハワイアンセンターで歌ったという。今回は、富岡町からいわき市に避難している佐藤紫華子さんの詩集『原発難民』が吉永さんと佐藤さんを結びつけ、朗読会が開かれた。
さよなら原発のポスター展に出品した和田誠さんの作品を隣に置いて、白いスーツ姿の吉永さんは「生ましめんかな」や和合亮一さんの「小さな私」、富岡町からいわき市に避難している佐藤紫華子さんの「原発難民」と「ふるさと」などを読んだ。
静かで、凜とした吉永さんの朗読は、客席の人々のこころにしみて、ともに憂い、怒り、希望を抱き、未来を思わせる。間に「わたしにできることは、いつまでも福島を思い、行動すること」と、語った。
いつまでも福島を思い、行動する。それなら、わたしたちができることは現状から目を背けず、表面 を取り繕わず、ありのままを受け止め、言葉を呑み込まず、必要な行動をとることだろう。
朗読会の最後、吉永さんは映画「北のカナリアたち」のように、平1小・1中の合唱部の子どもたちと一緒に「折り鶴」を歌った。人生に大切な10曲で、10曲目の「人生の最期に聴きたい曲」に吉永さんが選んだ曲は、その映画で子どもたちと歌った「あの青い空のように」だった。
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