078回 The Fall(2013.11.15)

大越 章子

 

画・松本 令子

好きなものに出会った時に開く扉

The Fall

 ゆるやかなスロープをずんずん下りて「The Fall Room」に入ると、だれもが無言になり、絵の前でたたずむ。日本画家の千住博さんの作品「The Fall」。1995年のヴェネチア・ビエンナーレで名誉賞を受賞した縦3.4m、横13.56mの滝の絵で、18年間、倉庫でずっと眠り続けていた。
  一昨年、軽井沢に自作を展示する美術館が開館し、間もなく「The Fall Room」の建設が計画された。敷地の勾配をそのまま利用した傾斜のある美術館は外壁が全面 ガラスで、中庭を含めた周りの木々や植物の成長とともに変化していく。 
  森に迷い込みながら歩いていると、そのうち洞窟の入口があって、地下宮殿をイメージした「The Fall Room」に辿りつく。床にはられた水のそばで滝を眺め、壁沿いのベンチに腰かけ、水の流れる音に耳をすまし、遙か太古を旅する。 
  10月の3連休に久しぶりに軽井沢に出かけ、浅間山への途中に千住さんの美術館に立ち寄った。偶然にも開館2周年記念の千住さんの講演が行われる日で、ゆっくり美術館の散策を楽しみ、「The Fall Room」で地球の隅に座って宇宙を眺める気持ちを味わい、カフェで昼食をとって講演を聞いた。
  青空と陽の光、木々の緑が気持ちいい、森の広場に置かれた椅子に腰かけ、千住さんは「まだ自分の持ち味も、何をしたいのかもわからなかった高校二年生の時、岩絵の具と出合い、人生をともに過ごしたいと思った」と振り返った。
  137億年前に宇宙が誕生し、地球は46億年前にできた。岩絵の具はその奇跡的な出来事の痕跡を残した身近なもので、とてつもない記憶のメッセージだという。
  滝を描き始めたのは94年。流れに合わせて体を動かしてみると、水の形や、ばらばらな水滴が最後に固まるのが見え、取りつかれた。周りは省いて滝そのものだけ描いてみると、だれからも等距離の存在になり、46億年前の風景のイメージを喚起した。
  さらに滝=白色という概念にとらわれず、緑や赤、オレンジ、ピンク、青、グレーの滝を描く実験もして、そのプロセスを表現した。評価されなくても岩絵の具を使って描きたいという思いで、好きで好きでたまらない絵を描き続けてきた千住さん。本当に好きなものに出会った時に開く扉がある、と語った。
  公演後、森を抜けて再び「The Fall」の前に腰かけた。暗く静寂が漂う空間にそれぞれの滝の音が聞こえ、隣にだれかがいても1人を感じ、そのうち自分を見つめているような不思議な感覚に陥る。それは「TheFall Room」に永久の時が流れているからかも知れない。
  翌朝、浅間大滝まで出かけ、滝の流れに合わせて体を動かしてみた。千住さんの言うとおり、滝をつくっている水のつぶが見えた。地球も宇宙もそんなふうにできている。

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