093回 チェロコンサート(2015.2.15)

大越 章子

 

画・松本 令子

自由奔放に自分の世界を描いて奏でる

チェロコンサート 

 1階が380席ほどの小さなホール。2階にはバルコニー席がある。そのホールの最後列、左隅の1つ内側の席で、プログラムを見ながら開演を待った。左席はぽつんと空いたまま。それが何となく気になった。
 開演5分前のベルが鳴って間もなく、キャリーケースを引いた80代風の婦人がその席に腰を降ろし、「間に合ってよかった」とつぶやいた。電車を乗り継いで1時間半ほどだが、初めてのホールだから余裕を持って家は出た。ところが途中、アクシデントが起きて電車は遅れ、気が気ではなかったという。
 「どうしても大ちゃんのチェロが聴きたくて。ようやく念願がかないました」。婦人はうれしそうに話した。

 大ちゃんとは、チェリストの宮田大さんのこと。1986年、栃木県宇都宮市の生まれで、3歳からチェロを始めた。15歳の時、桐朋学園音楽部門創立50周年の記念のコンサートで、小澤征爾さん指揮のハイドンの「チェロ協奏曲」をソロで演奏し、ひたむきな小澤さんの音楽への思いにふれ、プロの音楽家になることを決めた。
 10年後、小澤さんは自身が指揮する公演のソリストに宮田さんを起用した。曲もあの日と同じハイドンの「チェロ協奏曲」。ところが小澤さんは直前に体調を崩し、公演は急きょ中止された。病床から小澤さんは「来年は必ずやるから待っていてください」と、宮田さんに電話で言ったという。
 1年後の2012年、水戸芸術館でその約束は果たされた。けれど小澤さんは体調が思わしくなく、5公演のなかで予定通 りすべてを指揮できたのは初日だけで、小澤さんに代わって若いソリストの宮田さんが管弦楽団をリードしなければならない公演もあった。
 公演を通して小澤さんは、優等生の演奏をする宮田さんに全身全霊を傾け、自由奔放に自分の世界を描いて奏でることを、それこそ全身全霊で教えた。その様子はテレビで放送され、多くの人々の記憶に刻印されている。

 それから2年後の小さなホールでの演奏会で、宮田さんはバルトークの「ルーマニア民俗舞曲」とファジル・サイの「四つの都市」、メンデルスゾーンの「チェロ・ソナタ第二番」を弾いた。1曲目は六つのピアノ小品の組曲、2曲目は「演奏者自らの内なる声を取り出して楽器に伝えるべき」という考えのファジル・サイがトルコの四都市をテーマに作った。そして3曲目は明るく情熱的で、チェロとピアノの深い対話が印象的。バリエーション豊かな演奏会だった。
 アンコールは「亡き王女のためのパーヴァヌ」。ラヴェルはベラスケスが描いた、マルガリータ王女の肖像画からインスピレーションを得て作曲した。亡き王女の追悼曲ではなく、昔、王女が踊ったパーヴァヌ(舞踊)を表したノスタルジックな曲を思いのまま奏し、聴く人のこころに旋律がしみ入った。  隣の婦人は「なんて素晴らしいんでしょう。チケットがなかなか取れないけれど、また大ちゃんの演奏を聴きたいわ。チェロはいいわね。すっとこころと体に音が入ってくる」としばらく余韻にふけり、カートを引いて帰って行った。

 ついこの間聴いた演奏会のように感じているが、あれからもう半年が過ぎている。どこかで「亡き王女のためのパーヴァヌ」を聞くと、あの演奏会がよみがえる。これまで聴いたどの「亡き王女のためのパーヴァヌ」より、宮田さんの弾くパーヴァヌはこころに響き、宝石箱のなかに入っている。

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