トラックに積んで1300kmを走り届ける
夏みかんのにおい |
いわき市南台にある双葉町の仮設住宅内にある集会場に、夏みかんの入った段ボール箱が積まれ、辺りにつんとさわやかな夏みかんのにおいが漂った。
贈り主は山口県長門市で、車の販売をしている芳川清さん。マイクロバスを改造したキャンピングカーとレンタルした2tトラックに分乗して、お客さんなど仲間たち6人ではるばるいわきにやってきた。走行距離はおよそ1300kmにもおよぶ。
長門市を4月28日に出発し、中国道から山陽道を経て名神道に入り、滋賀県の多賀サービスエリアでお風呂に入って休憩。それから北陸道を通 って磐越道の猪苗代磐梯高原インターで降りて磐梯山などを眺め、大内宿で途中遊びをして、29日の夕方、いわきに着いた。
翌日、事故を起こした福島第一原発が立地する双葉町と大熊町の仮設に、トラックに積んできた萩の夏みかんと長門の鶏卵せんべいを届けた。
芳川さんは長く、自動車メーカーのディーラーをしていたが、転勤を機に仕事を辞めた。そのころ東日本大震災が起き、連日、テレビで状況を見ていて、「被災地のために、何かできることをしたい」と思っていたが、その後、自分で車販売の会社を立ち上げ、休みなく働いた。
それから3年が過ぎ、ようやくまとまった休みがとれる余裕ができた。仮設住宅で暮らす人たちはビタミン不足になりがちと聞き、隣町の萩の夏みかんを買って、現在も故郷に帰れず避難生活を続けている大熊町や双葉町の人々に持って行こう、と考えた。
いまでは萩の特産だが、そもそも夏みかんの原木は、長門市青海島の大日比にある。およそ300年前に大日比の海岸に流れ着いた果 実の種を、地元の女性が蒔いて育てた。江戸時代の終わりには萩でも、武士や商人の家に植えられるようになった。
明治になると、新政府の要職を歴任した小幡高政が萩に帰郷し、困窮した武士を救うために夏みかんの苗木を配り、10年後には夏みかんの果 実と苗木の収入が当時のまちの財政を追い越し、萩のまち全体に夏みかん畑が広がった。
仮設住宅に夏みかんと鶏卵せんべいを届けた際、芳川さんたちは双葉や大熊の町民としばらく歓談した。そこで改めてわかったのは、事故から四年過ぎても避難している人たちの状況は何も変わらず、住みなれた故郷を思い、深く傷ついていることだった。
話をしながら、段ボール箱を1つ開けて、みんなで夏みかんをつまんだ。実は芳川さんたちもまだ、味見をしていなかった。さっぱり甘酸っぱくて、懐かしい味がした。夏みかんのすっきりとさわやかなにおいは、心身の疲労やストレスを軽減させてくれる。
これから夏みかんを口にする度、双葉や大熊町の人々は本州の西端で暮らす芳川さんたちを、芳川さんたちは双葉や大熊町の人々のことをそれぞれ思うだろう。
芳川さんたちはその日、2tトラックを返し、平のホテルに宿泊。翌日は午前3時半に出発し、海岸線を北上して八戸まで行って泊まり、次の日の朝、本州最北端の大間まで行った。帰りは十和田湖、中尊寺、松島、白川郷や永平寺にも寄って、5月4日に長門に戻った。
本州の端から端までの旅。キャンピングカーの走行距離は5000kmを超えた。
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