

100mのなんてことある直線の道のり
こころ旅 |
俳優の火野正平さんが自転車に乗って全国を走る、NHKBSプレミアムの「こころ旅」に、このあいだ「磐城高校正門前の高月講習会と通 学路」が登場した。
視聴者から寄せられた手紙をもとに、こころの風景を訪ねる番組で、2001年から始まり、この4年(延べ約400日)で火野さんは8188kmを走破した。5年目の今年は、春に和歌山県をスタートして東海、関東、東北と北上している。
その旅の37日目がいわきで、小川郷駅から高月講習会までの12kmを、自転車で走った。
磐城高校の同窓会館に設けられた高月講習会は、大学浪人向けの予備校。1980年春、カワバタさんは磐城高校を卒業し、高月講習会に通 い始めた。くぐり慣れた母校の正門の手前で、後輩たちの通学の流れから左にはずれて、同窓会館に入った。
着古した学生服に洒落で高1と高3の学生章をつけて通学。高校生でも、大学生でもない中途半端な時間を過ごした高月講習会は、人生を変えた忘れられない場所になったという。そして真っ正面 に磐城高校の正門がある100mほどの直線道路は、何ともほろ苦い、複雑な心持ちの通 学路だった。
カワバタさんが過ごした3年後、わたしも高月講習会に通った。当時、磐城高校は男子校で、女子校出身のわたしは男の子たちの通 学の波にのまれそうになりながら歩いていた。母校の制服を着るのがきまりで、タイムカードが出欠簿の代わりだった。
あのころは250人ぐらい生徒がいただろうか。多くは男子校、女子校出身で、通 い始めのころは、講義室での席も男女がくっきりわかれて座り、時間とともにそれが自然に交じり合っていった。 互いにあいさつを交わすようになり、昼休みには円陣をつくってバレーボールをし、わからない問題を教え合い、本やレコードの貸し借りをし、時には磐城高校のグラウンドで野球部の練習試合を観戦し、映画を見て、おいしいものも食べた。
宙ぶらりんではあったけれど、それぞれに夢や目標があって、なんとか来年の春はこの長いトンネルを抜け出したい、と思っていた。毎日顔を合わせるみんなが級友で仲間、同志で、ともに不合格の苦い経験をしているからやさしかった。
夏の模擬試験の時だった。隣で問題を解く男の子の視線を感じた。「なんだろう」と見まわし、とても暑かったので女子校の癖が出て、スカートを膝上までたくし上げていたわたしに気づき、急いで戻した。
館長さんは、鈴木一先生。試験の終了時間になると「やめ!」の大きな声が、大講義室に響いた。わたしは理系だったので、数学は山口研次先生。いつも大きな風呂敷包みを抱え、講義室に入ってきた。おふたりとも、もう鬼籍に入っている。
カワバタさんの手紙の通り、火野さんは磐城高校の正門がまっ正面 に見える100mの直線道路を、自転車から降りて歩き、高月講習会を訪ねた。
コーヒー色の外観は変わらないが、並んでいるタイムカードの数でもわかるように、ずいぶん生徒は減っていて、2階の大講義室はいま、いくつかの講義室にわかれている。制服着用のきまりもなくなったみたいだし、夏に下駄 を履いてくる生徒もいないのだろう。番組を見ながら、制服姿の高校4年生のわたしを想った。
「何てことはない道のり、なんてことはある」。正門前の100mの直線道路を眺めながら、火野さんはつぶやいた。
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