103回 キーンさんの思い(2016.1.1)

大越 章子

 

画・松本 令子

流されず自分で考え、意志を持って生きる

キーンさんの思い

 自室の机の前に、1枚の新聞広告をピンで留めている。2012年の元日の全国紙に載った、新潮社のドナルド・キーンさん著作集(全15巻)の広告で「日本人よ、勇気を持ちましょう」と、キーンさんが語りかけている。
 そしてニューヨークで地震と津波に襲われた東北の様子を見て、あの「おくのほそ道」の東北はどうなってしまうのだろうと衝撃を受けたが、こうした災難からも日本人はきっと立ち直っていくはずで、物事を再開する勇気をもち、自分や社会のあり方をよい方向に変えることを恐れず、勁(つよ)く歩を運び続けようではありませんか、と記している。
 震災を機にキーンさんは日本人になることを決意し、帰化の申請をして、2012年の春に日本国籍を得た。名前もキーン ドナルドに改め、漢字で書くと鬼怒鳴門となる。コロンビア大学の学生だった18歳の時に書店で見つけた「源氏物語」の英訳本を読んで感動し、以降、日本文学に魅せられ、研究を続けて70年ほどを経てのことだった。

 キーンさんの著作集の第1巻(日本文学)によると、キーンさんが「源氏物語」の英訳本に出会ったころ(1940年)の欧米社会は暗雲が立ち込めていて、アーサー・ウエーリが訳した表現の美しさはさることながら、その目の前の世界を忘れるために、「源氏物語」の世界に入り込み、夢中になったという。
 翌年、太平洋戦争が始まり、アメリカの海軍に日本語学校があると知ったキーンさんは志願して日本語を学び、学校を終えると回収された日本軍の文書の翻訳にあたった。そして20歳の時、激戦が繰り広げられるアッツ島に派遣された。
 そこでは日本軍が猛攻撃に降伏することなく玉砕した。多くは手榴弾による自決。その光景を目の当たりにし、キーンさんの日本人のイメージは一変した。「日本人はなぜ平気でいのちを捨てられるのか」。疑問がぬ ぐえないまま、戦後、日本に留学して冷静な目で日本人を見つめ、日本文学を研究した。

 先ごろNHKのETV特集で2回にわたって「キーンさんの日本」をドキュメンタリーとドラマで伝えた。日本文学の研究を進めるなかで、キーンさんは新聞連載に伴い、いまでは古典文学になっている各時代の日記を読み解いた。
 そして、海軍時代に出会った「戦地で迎えた正月 十三粒の豆を七人でわけあい ささやかに祝う」と日記に書いた兵隊も、江戸時代に生きた日本人も真心に変わりがないことを確信するとともに、多くの日本人が戦争に熱狂するなかで、自分が信じる道を歩み続けた人もいたことを知った。
 そのひとりに谷崎潤一郎がいる。空襲がきても、連載が中止されても、出版を許されなくても、『細雪』を書き続け、私家版を作った。日本はこういう文化のある国だったと、四姉妹をめぐる人間模様を描きながら、日本人のほんとうの美しい部分をペンで表し、未来に遺した。

  大きな渦が巻き起こると、人々はそこに巻き込まれていく。けれどそこで流されずに自ら考え、意志を持って生き、行動する大切さを、文学を含め過去の人々の歴史が教えてくれる。
 「日本文学を世界に伝え続けてきて、わたしの仕事は、日本文学は世界文学であることを証明すること」と言うキーンさんは、日本人にも日本文学の素晴らしさはもちろん、そのことをさりげなく伝え続けている。

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