105回 映画「あん」(2016.3.16)

大越 章子

 

画・松本 令子

わたしたちには生きる意味がある

映画「あん」

 ポレポレいわきの映画祭で河瀬直美監督の「あん」を見た。昨年5月に公開され、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門のオープニングに選ばれた作品。異例のロングランが続き、つい先日まで各地でアンコール上映がされていた。
 どら焼き屋の雇われ店長として単調な日々をこなしている千太郎と、求人募集の貼り紙を見てその店で働くことを懇願する老女の徳江、それに店の常連で母親と2人暮らしの中学生のワカナ。それぞれに事情を抱える3人の、桜が咲く春から翌年の桜のころまでの物語を描いている。
 タイトルの「あん」は、どら焼きのつぶあんのあん。徳江は小豆の言葉に耳をすましながら、つぶあんを作る。水に一晩、小豆はひたして、おてんとさまが顔を出す前から仕込みをする。その間、小豆が見てきた雨の日や晴れの日を想像し、どんな風に吹かれてここまでやってきたのか、旅のはなしに耳を傾けるのだという。
 そうして作った徳江のつぶあんはおいしく、評判になる。けれどそれもつかの間、心ないうわさに客足はぱたりと止まり、ある日を境に徳江も店に来なくなる。徳江はハンセン病の元患者で、ちょうどワカナの年齢から療養所で暮らしていた。

 原作者のドリアン助川さんが「あん」を書くに至った経緯が、この間(3月5日)の朝日新聞のbe版に紹介されていた。
 作家で詩人で道化師でもあるドリアンさんは7年前、埼玉県所沢市でライブをした時、多摩全生園から来た3人に出会った。多摩全生園とは、東村山市にある国立ハンセン病療養所。「療養所の話を書いて、人が生きる意味を問いたい」という思いをずっと温めてきたドリアンさんに、その出会いは答えを導いてくれたという。
 多摩全生園を訪ね、そこでの生活にふれ、元患者たちに話を聞いて、鹿児島の療養所でふるさとの沖縄菓子を作ってきた女性の生き方をモデルに、3年かけて書いて、2013年に単行本が出版された。

 日本には13の国立ハンセン病療養所がある。わたしも学生時代、宮城県登米市にある東北新生園を訪ねたことがある。療養の場で生活の場なので、広い敷地には住まいや病院、商店などのほか寺やチャペルまであって、1つのまちがつくられていた。ただ、まったく違うのは外から隔離されていることだった。
 療養所には資料館もあって、ハンセン病の原因のらい菌についてや、隔離政策によって患者が受けてきた扱いなど、さまざまな資料とともに説明されていた。案内してくれた職員の話では、入所者の多くは関西など遠方に故郷があり、納骨堂には引き取り手のないお骨が並んでいた。
 それから7、8年後、らい予防は廃止された。映画を見ながら、30年ほど前に訪ねた東北新生園の風景が浮かんだ。

 「ねぇ店長さん、わたしたちはこの世を見るために、聞くために生まれてきた。だとすれば、なにかになれなくてもわたしたちは、わたしたちには生きる意味があるのよ」。徳江はそう語る。この春は、どら焼きを持って、桜を見に行こう。

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