114回 エミリー・ディキンスン(2017.1.1)

大越 章子

 

画・松本 令子

詩も生き方も自分のスタイルを持つ

エミリー・ディキンスン

 

 小さくとも、思い高く、
 一本の花を、一冊の本をそだてるのだ。
 微笑みの種を播き、
 誰にも知られずに、花ひらくまで。

 いつも持ち歩いている手帳に、エミリー・ディキンスンのこの詩を書き留めている。エミリーの詩にタイトルはなく、ふつう、最初の行と作品番号で示される。例えば「小さくとも、思い高く 55」というように。どれも詩は簡潔で透明感があって、みずみずしく、ストレートにこころに響き、音読すると呪文にも思える。
 エミリーは19世紀のアメリカに生きた。10代後半の1年間の寄宿舎生活を除けば、生涯、マサチューセッツ州アマーストの生まれ育った家で過ごした。理由はよくわからないが、20代から次第に家に閉じこもるようになり、40代前半には庭より外に出なくなって、訪ねてくる人ともほとんど会わなかった。そして腎臓炎が悪化し、55歳で亡くなった。
 生前に発表した詩は10篇ほど。死後、引き出しから40の小さな手縫いの袋に入った詩稿と、古い包装紙や封筒の裏や新聞の欄外に走り書きした詩片が、合わせて1780篇近く見つかり、死から5年目に初めての詩集が出版された。

 エミリーを最初に知ったのは絵本『エミリー』(ほるぷ出版)だった。文章はアンデルセン童話の数篇を再話しているマイケル・ビダード、絵は女性の一生や幸福な子ども時代のものがたりを描くバーバラ・クーニーが手がけている。ビダードは、いまは記念館になっているエミリーの住まいを訪ね、エミリーの部屋の窓の下に立ち、おはなしが浮かんだという。
 エミリーは小さな空間のなかで長い年月を、隠遁者として過ごしたわけだが、その日々は窮屈でも、憂鬱なものではなかった。エミリーがエミリー・ディキンスンを生きるのには、そうすることが必要だった。
 自然を鋭く見つめ、植物を愛し、ユーモアがあって、楽しみを知り、2階の自分の部屋から手作りジンジャーブレット(エミリーのジンジャーブレッドはアマーストのまちで有名だった)の入った籠をひもで下ろして子どもたちに振る舞うなど、自分流の社会との接点があり、詩も生き方も自身のスタイルを持った。 

   作品番号1147は「After a hundred year」(百年の後には)。その一部を紹介する。

  百年の後は
  その場所を知る人もない
  そこでなされた苦悩も
  今は平和のように静か

 いまを見つめ、さらに百年後を思うと、気持ちも行動も違ってくる。エミリーの詩集を開けば、ペパーミントグリーンの風が吹きぬ ける。

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