何にも束縛されない自由で奇妙な生命体
絵本美術館のいきものたち |
いわき市平豊間の、太平洋を一望できる高台にある絵本美術館に入ると、エントランスで大きくて不思議ないきものが出迎えてくれる。ティールームや吹き抜けの空間にも。目が合った人は、ほかにもどこかに隠れていないか、絵本棚を眺めながら不思議ないきものたちの仲間を探してしまうだろう。
このいきものたちは、昨春まで東京藝大美術部工芸科の教授だった菅野健一さんの作品で、昨年の夏の終わりに、絵本美術館に贈った。そこには菅野さんの被災地への思いと偶然の出会い、さらにある縁のものがたりがある。
2017年の秋、退官を4カ月後に控えた菅野さんの作品展が、東京藝大大学美術館で開かれた。同じ時期、美術館内では藝大創立130周年を記念した特別 展「皇室の彩」が開催されていて、いわき市の伊藤佳子さんは妹さんと東京で待ち合わせをして、その展覧会を見に出かけた。
案内に誘われて菅野さんの作品展会場にも入り、空間のあたたかさとひろがり、色彩 の豊かさ、いきもののエネルギーのようなものを感じた。「こういうすてきな作品を手がけられるなんて、どういう方なのかしら」。佳子さんが妹さんと話していると、うしろに菅野さんがいた。
作品にまつわる話を菅野さんから聞きながら、佳子さんは「いわきから来たんです」と自身にふれた。すると「父が三春出身で、いわきにも親戚 がいます。被災地に作品を贈りたいと思っていました。どこかご存知ですか」と尋ねられ、ふさわしい贈り先を探す約束をした。
実は菅野さんのお父さんと、震災の津波に襲われて亡くなった、当時、豊間小の4年生だった鈴木姫花ちゃんの曾祖父は従兄弟。なので姫花ちゃんは絵が得意で、3年生の時に遠足で行った塩屋埼灯台の絵を描いて「灯台絵画コンテスト」で入賞し、震災後、その灯台の絵のハンカチが作られ、姫花ちゃんのデザイナーの夢が実現したことも知っていた。
そして2018年6月初旬に、菅野さんはご夫妻で絵本美術館を訪ねた。絵本美術館は幼稚園の付属施設。館内をゆっくり眺めて、自身の作品と空間のコラボレーションをイメージし、園長の巻美佳砂さんに思いを語った。そのあと姫花ちゃんの自宅で仏壇に手を合わせ、姫花ちゃんの部屋に飾ってある灯台の絵などを見た。さらに1時間ほど車で走って、姫花ちゃんのお母さんの実家も訪ね、歓談した。
さて、どんな作品をどこに掛けよう。菅野さんが最も注意を払ったのは、絵本美術館の絵本の空間を損なわないことだった。それに菅野さんの作品にとっても居心地のいい場所。美術館を利用している幼稚園児たちの反応も気になった。
絵本美術館は安藤忠雄さんが設計したので、コンクリート打ちっ放しの建物。その壁面 に展示する方法も検討する必要があった。そうして夏の終わりに、選んだ作品をそれぞれピンでパネルに留めて壁に設置し、不思議ないきものたちは絵本美術館の住人になった。
菅野さんは布と糸を駆使し、形態と色彩で自身の内側からわき出るエネルギーを表現してきた。初期のころは、事象は常に変わるが宇宙はすべてを包み込んでいる、という思いがあったという。その後、思考の原点の転換もあったが、宇宙に対する思いは変わらない。
そのなかで虚空の空間から飛び出してきたのが「いのち」だった。束縛から解かれたように、菅野さんの言葉で表せば「奇妙な生命体」が次々と生まれてきた。そのいきものたちも自由でありのままで、だからおどけても見える。
クリスマスのころ、絵本美術館でいきものたちに会った。すっかり美術館の住人になって、訪れる子どもや大人たちにインスピレーションを与えている。美術館からは塩屋埼灯台もよく見える。空の上の姫花ちゃんもいきものたちに刺激されて、夜空をデザインしているに違いない。
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