152回 百貨店(2020.6.30)

大越 章子




画・松本 令子

きょろきょろ めぐりあいを楽しむ

百貨店

 幼稚園のころ、繰り返し読んでいた児童書に『しのは きょろきょろ』(あかね書房)がある。作者は谷川俊太郎さん、絵を和田誠さんが描いている。
 しのは5歳の女の子。お母さんがデパートの7階にある美容室で髪をセットしている間、デパートのなかを探検するというものがたりで、見返しには地下1階から地上8階と屋上のフロアガイドが書かれている。
 ものがたりにデパートの名前は出てこない。でも、わたしにはそれがどこなのか、すぐにわかった。新宿の小田急百貨店。そのころ東京・小金井市の玉川上水をはさんで真向かいに小金井公園がある辺りに住んでいて、休日には時々、家族で中央線に乗って新宿に出かけた。
 だから、しののお母さんがいる美容室の場所も、地下1階の食品売り場のゆっくり回るお菓子コーナーや九官鳥がいるペット売り場、おもちゃ売り場もよく知っている。夢のようなおもちゃ売り場がある6階には書籍や文房具などの売り場もあって、『しのは きょろきょろ』もそこで買った。
 小田急百貨店のある新宿西口広場には若者が集い、ギターやメガホンを手にみんなで歌っていた。5歳のわたしにはわからなかったが、たぶんベトナム戦争に反対するフォークゲリラか、日米安保条約自動延長に抗議する市民の集まりだったのだろう。
 お子さまランチじゃないものがいいなぁと思い始めたころで、百貨店のなかを思うままひとりで探検したいという願望もひそかに持っていた。おもちゃ売り場と同じくらい好きだったアクセサリー売り場で、ガラスケースを必ず眺めた。
 きょろきょろせずにはいられない。しのはわたしで、わたしはしのだった。

 小学校入学と同時にいわきに引っ越してきて、わたしの百貨店は小田急から大黒屋になった。そのうちに百貨店のなかをひとりで歩けるようになり、地方にはその地方独自の百貨店があることも知った。いわきの大黒屋、郡山のうすい、福島の中合、仙台の藤崎、山形の大沼、盛岡の川徳…。それぞれに土地のにおいがして、文化を育てていた。
 2001年5月の突然の大黒屋閉店の衝撃はいまも鮮明に覚えている。午前9時半の開店時間の直前、シャッターに閉店を知らせる紙が張られた。そのあと百貨店のないまちの寂しさをひしひし感じている。あれから20年ほどが経ち、この間、全国で100以上の百貨店がなくなった。
 今年1月には山形の百貨店「大沼」が破産して閉店し、320年の歴史に幕を閉じた。山形県は唯一、残っていた百貨店を失った。8月末には福島の中合も閉店する。昨年度の売り上げは、ピーク時の3分の1ほどだったという。地方独自の百貨店だけではない。三越伊勢丹やそごう西武、高島屋など大手百貨店の店舗も次々、閉店している。
 百貨店にはめぐりあいがあって、実際にものにふれて知って、選んで、買い物が楽しめる。催しものをのぞき、疲れたらおいしいものを食べて休憩する。たまに、その空間に浸りたくなって、片道1時間半かけて出かける。しののようにわくわく歩き回り、きょろきょろする。年を重ねてもそれは変わらない。
 百貨店の未来が心配でたまらない。

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