155回 コスモスの咲くころ(2020.9.30)

大越 章子




画・松本 令子

はてしない宇宙時間に思いを馳せながら

コスモスの咲くころ

 このところ、10数年前に行った黒姫高原のいちめんのコスモス畑を時折、思い出している。新型コロナウイルスの影響で、どこにも出かけていないからかもしれない。それにNHKの100分de名著でミヒャエル・エンデの『モモ』や、生涯をかけてアファンの森を育てた作家のC・W・ニコルの追悼番組を見たからかもしれない。
 冬はスキー場になる黒姫山の麓に、約50品種、100万本が植えられているコスモス畑。変幻自在に歩いて心ゆくまで花と戯れたら、リフトに乗って空中を散歩してコスモスの絨毯を眺める。展望台からは、ナウマン象の化石がたくさん見つかっている野尻湖や斑尾山、信濃のまちが見え、青空に手を広げ胸いっぱい空気を吸いたくなる。
 コスモス畑からハイキングコースを歩いて、野の花を探しながら黒姫童話館に行ける。この童話館はミヒャエル・エンデの多くの資料、それに松谷みよ子の文学資料も収蔵していて、ふたりの世界を中心に常設展示がされている。
 隣接する童話の森ギャラリーではその時々、企画展が開かれ、あの時は「赤毛のアン展」で、それを目的に黒姫へ出かけたのだった。近くには、いわさきちひろが黒姫に建てたアトリエを兼ねた山荘も移築されていて、いろんな物語を旅することができる。

 童話館のミヒャエル・エンデの常設フロアの入口では『モモ』に登場する亀のカシオペイアが出迎え、モモを時間の国に案内したみたいに、エンデの世界に連れて行ってくれる。
 本の表紙にも書かれているように、『モモ』は時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語。学生時代に友達から誕生日に贈られ、読んでいる途中から、自分のなかにある時を刻む振り子の動きと、周囲にひそむ灰色の男たち(時間どろぼう)の存在を意識した。
 モモの親友の道路掃除のおじいさんは次の1歩、次のひと呼吸、次のひと掃きのことだけ考えて掃除をしていた。すると楽しくなってきて、ふと深い考えが浮かんでくる。ところが灰色の男たちに時間を盗まれ、道路全体を考え一心不乱に忙しく掃除をし、気づくことも考えることも、モモとゆっくり話をすることさえできなくなった。

 さまざまな文明の利器によって、わたしたちは時間を節約できているはずなのに余裕は生まれず、より灰色の男たちが増殖している。100分de名著で『モモ』の講師をした臨床心理学者の河合俊雄さんは「近代以降、時間の節約をして得をするのは個人ではなくシステムの側で、それはいま、さらにリアリティを増している」と説明する。
 例えば、IT関連の無料で提供される便利なツールは、人間がツールを使っているのではなく、実は人間がシステムに使われている。それは灰色の男たちがもたらす論法で、そのシステムに乗ってしまうと人間の豊かさのようなものは失われ、むしろ貧しくなっていくのだという。
 エンデは『モモ』を書き上げるのに、かなり苦心した。それは「灰色の男たちがなぜ、モモからは時間を盗めないのか」というルールが見つからなかったからで、6年も費やした。ある朝、食事をしていて思いついた。灰色の男たちが盗めるのは時間を倹約して貯めている人からだけで、自然な流れにまかせている人からは盗めないのだ、と。
 
 コスモスの学名はCosmos。英語や古いギリシャ語で「宇宙」を意味する。カシオペイアの案内でモモがたどりついたのは時間の国で、そこには時間の源がある。瞬間、瞬間がその源とつながった時間は、一瞬でありながら無限で豊かなのだという。はてしない宇宙時間に思いを馳せながら、周りに大勢いる灰色の男たちをかわしたい。

そのほかの過去の記事はこちらで見られます。