

たくさんの人が思い出を重ねる歌
栄冠は君に輝く |
作曲家の古関裕而と妻の金子をモデルに古山裕一と音夫婦の半生を描いた、NHKの朝ドラ「エール」が11月末に終わった。新型コロナウイルスの影響で撮影が中断し、2カ月遅れての最終回だった。ドラマにはその時々、「紺碧の空」や「露営の歌」「長崎の鐘」「とんがり帽子」など古関作品が散りばめられ、幅広い曲づくりにあらためて驚いた。
なかでも印象深いのは「栄冠は君に輝く」。戦時歌謡を歌ったことをきっかけに、戦後、自暴自棄になってどん底まで落ち込んだ幼なじみの佐藤久志が再起する歌で、だれもいない甲子園球場で「君なら歌える。お前じゃなきゃだめなんだ」と裕一に背を押され、マウンドに立ってアカペラでゆっくり歌い始めた。
雲はわき 光あふれて
天高く 純白の球 今日ぞとぶ
若人よ いざ まなじりは
歓呼にこたえ
いさぎよし ほほえむ希望
ああ 栄冠は 君に輝く
久志を演じたミュージカル俳優の山崎育三郎さんは徐々にテンポをあげ、3番まで歌った。コロナウイルスの影響で今年は春、夏ともに甲子園大会が中止になり、山崎さんはマウンドでいろんな思いがあふれたという。すみきった青空が広がる球場に響く歌声に、朝から胸がいっぱいになった。
この歌の作詞者は石川県能美郡根上町(現在の能美市)の加賀大介。ラジオドラマの脚本を手がけた文筆家で、短歌会も主宰していた。昭和23年、学制改革で新制高校が発足して全国中学野球は全国高校野球になり、朝日新聞が一般から歌詞を求め、5250編ほどの応募のなかから選ばれた。
加賀は子どものころから野球が大好きで、草野球に熱中した。高等小学校を卒業後、地元の小松製作所に勤め、野球を続けていたが、16歳の時、裸足で野球の試合をしていて右足の指先を怪我し、それがもとで骨髄炎になって右膝から切断した。
歌詞を応募したのは33歳の時。賞金欲しさと思われるのがいやで、婚約者の名前を借りたという。そのため長らく女性の作詞者とされていたが、50回記念大会が開催された昭和43年に夫妻は真相を明かした。5年後、加賀は58歳で亡くなった。1度も甲子園を訪れることはなかった。
風をうち 大地をけりて
くゆるなき 白熱の力ぞ技ぞ
若人よ いざ 一球に
一打をかけて
青春の讃歌をつづれ
ああ 栄冠は 君に輝く
もう70年以上、歌われていて、多くの人がこの歌に思い出がある。
この歌が流れると昭和46年の夏の光景が浮かんでくる。小学1年生、春に東京からいわきに越してきたばかりだった。磐城高校が甲子園であれよあれよと勝ち進み、横浜の桐蔭学園高校との決勝戦は、近くで暮らす祖母の家の応接間に6、7人が集まり、いとこたちと虫取り網を応援旗に声援を送った。
4年後、磐城高校は夏の大会でベスト8まで勝ちあがった。そのころ隣に監督をしていた青木稔さんが住んでいて、NHKが不在を守る夫人の清子さんを取材に来た。「アイロンをかけながら話してくださいと言われて、慌ててアイロンを出したのよ」と、取材後、清子さんは楽しそうにエピソードを話していた。清子さんが亡くなってもう40年になる。
そして、これからは久志が球場で歌ったシーンも思い出すだろう。
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