160回 豊間中のピアノの10年(2021.4.15)

大越 章子



画・松本 令子

あちこちに出かけて震災を伝える

豊間中のピアノの10年

 夕暮れせまる空に
 雲の汽車を見つけた
 なつかしい匂いの町に
 帰りたくなる

 2011年の大晦日、NHK紅白歌合戦のステージのまんなかに1台のグランドピアノが登場した。嵐の櫻井翔さんがそのピアノで「ふるさと」を弾き始め、ほかの4人のメンバーと出場歌手たちは大合唱した。
 ピアノには「寄贈 四家広松殿 平成十一年九月吉日」とある。いわき市平豊間でかまぼこを作っていた広松さん(享年94)が、孫娘が通う豊間中学校の体育館の新築記念に贈った。
 目の前に海がひろがる中学校だった。震災の大津波をもろに受け、校舎奥の体育館にあったピアノはステージのそでに落ち、階段に引っかかって斜めになっていた。海水をかぶって砂まみれで、大きな擦り傷もあった。片づけに来た自衛隊は、がれきにしてしまうのは忍びなく、砂を取り除いた体育館のまんなかに置いたという。
 ピアノのことを聞いたピアノショップいわきの代表で、調律師の遠藤洋さん(62)は5月中旬、体育館に見に行った。再起不能に思えたが、鍵盤にふれると小さな音が出た。「このピアノを再生させたい」。そう思い、さまざまな関係者の了承を得て、8月、ピアノを譲り受けた。
 それまで水に浸かったピアノの修理はしたことがなかった。ピアノ自体の様相も最初に見た時と変わっていて、譜面台も両側の拍子木も、中音域の鍵盤もなく、浜辺に転がっている大木のような腐った匂いもした。こころは揺れ、1歩踏み出して再生作業を始めるまでに2カ月かかった。
 10月、探りながらの作業を始めた。すべての部品をはずし、水洗いをしたあと洗剤で洗い、塩分除去剤でコーティングをした。部品は使えるものと使えないものに分け、1万点以上を交換。豊間中学校の生徒たちに音色を届けたい一心で、ピアノと向き合った。津波でできた外側の傷はそのままにした。
 再生作業のさなか、TBSからクリスマスの「報道の日」にピアノを取り上げたい、NHKからも紅白歌合戦に出てほしいと言われ、放送に間に合うようにと、家族の力を結集させて遅くまで作業した。紅白当日、遠藤さんはつきっきりでピアノを調整し、本番には舞台そででそっと見つめた。それが豊間中のピアノと遠藤さんの震災を伝える旅の始まりだった。

 2012年の初め、日本橋高島屋の広報から「紅白を見ました」と、遠藤さんに連絡があった。再生したピアノと一緒に、東北の復興の手伝いが何かできればとのことだった。高島屋では著名な美術家たちに協力を求め、5月に京都高島屋でチャリティー・オークションを開き、売上金は全額、震災で親を亡くした子どもたちのために、あしなが育英会に寄付した。ピアノも会場に出向き、コンサートが開かれた。
 その2カ月前の3月11日、ピアノは豊間中が間借りしていた藤間中の体育館に行った。集まった豊間中の生徒たちは久しぶりの音色に合わせて校歌と、Kiroro(キロロ)の「未来へ」を歌った。1年前の震災が起きたその日、豊間中では午前中、卒業式が行われ、式の最後に演奏されたのが「未来へ」だった。
 それからも豊間中のピアノと遠藤さんは、高島屋の企画で東京や大阪、シンガポール、台湾などに行って震災を伝え、音色を聞かせた。高島屋のほかにもあちこちからの依頼で、病院やお寺などさまざまな場所で音を響かせ、人々を勇気づけてきた。いつしか豊間中のピアノは「奇跡のピアノ」と呼ばれるようになった。
 震災から3年後、日本橋高島屋で開かれたチャリティー・コンサートでピアノを弾いた、作曲家の千住明さんは「外は寒いけれど、このピアノの鍵盤はあたたかいですね。音もすごくやわらかく、いろんな人の魂を聞いているような気がします」と、集まった人々に語った。
 2016年のチャリティー・コンサートでは、ピアニストの西村由紀江さんが演奏した。西村さんは「ピアノがよく持ちこたえてくれました」と、話していたという。
 
 昨年、奇跡のピアノと遠藤さんは沖縄に出かけた。琉球新報の招きで8人の音楽家と那覇ジュニアオーケストラ、少年少女合唱団などと共演した。コンサートのあと、チケットの売り上げから経費を除いた半分に、会場で呼びかけ集まった募金を合わせて「ピアノのメンテナンス費用に」と、遠藤さんは手渡された。
 再起不能と思われた修理からずっと、遠藤さんは自費でピアノを直してきた。その遠藤さんを思っての行為に、人の痛みがよくわかる沖縄の人々の温かさを感じた。「奇跡のピアノで沖縄の人々を勇気づけたい」と思っていたが、逆にエールをもらったという。
 いま奇跡のピアノは、震災前に豊間中があったそばに建てられた「いわき震災伝承みらい館」にある。いわき市から頼まれて、遠藤さんが貸している。コンサートなどの依頼があると旅に出かけるため、ピアノは時々、不在になる。慣れ親しんできた土地なのでピアノも居心地がよさそうで、伝承みらい館のシンボル的な存在になりつつある。
 この10年、ピアノと遠藤さんはあちこちに出かけ、いろいろな人に出会い、1000年に1度と言われる東日本大震災を伝えてきた。さまざまな音楽家たちのおかげで、ピアノは段々、中身の濃いいい音を出すようになっている。
 「もともとピアノには『自分は負けない』という生きる力があった。つきあいが深まるなかで、どんどんよくなり応えてくれている。奥行きのあるやさしい音。西村由紀江さんの曲が合うピアノ」
 遠藤さんは言う。これからも奇跡のピアノと遠藤さんの旅は続く。10年後、20年後、ピアノはどんな音で人々を包むのだろう。

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