162回 『絵巻 平家物語』のこと(2021.7.15)

大越 章子



画・松本 令子

歴史に名をとどめる人たちの生きかた

『絵巻 平家物語』のこと

 早春のころ、立ち寄った古本店で『絵巻 平家物語』(ほるぷ出版)を見つけた。文は木下順二、絵は瀬川康男。木下が面白いと思った人物を9人選び、それぞれ1冊ずつ全9巻にまとめた絵本で、順々に読んでいくと『平家物語』がおおまかにわかる。
 忠盛、祇王、俊寬、文覚、清盛、義仲、義経、忠度、知盛。9冊が入った箱をそばに置いて、気まぐれに開いている。巻末には木下の「あとがき」があって、本文を読み終えたあとの余韻を深く広くさせる。
 1巻の「忠盛」は平安時代の終わり近くに武士として初めて宮中への出入りを許され、その後の平家繁栄のきっかけをつくった平忠盛を、「殿上の闇討ち」のはなしを中心に描いている。あとがきのなかでも1巻のそれは秀逸で、木下は『絵巻 平家物語』を書いた思いの丈を綴っている。
『平家物語』といえば、はじまりの美しい文章を思い浮かべ、人間のはかなさをうたいあげた物語と思い込んでいる人が多い。しかし、よくも悪くも全力をつくして生きた、歴史に名をとどめる人たちの生きかた、それが絡まり合ってつくられた歴史が書きあらわされている、と。
 わたしたちは登場人物の生きざまをどう受け止め、なにを思うのか。読み進めるなかで、それぞれの登場人物の印象は変わってくる。登場人物から『平家物語』を概観する手法を、木下は前もって『古典を読む 平家物語』(岩波書店)で試みていた。表現力や構成力はさることながら誇張や対比などもさせて、鮮やかにその人物像を浮き彫りにしている。
 そして瀬川は心身をすり減らしながら集中して描いて描きまくり、線と色彩で平安の人物や装束、建物、風景、漂う空気感までも表現。登場人物だけでなく物語そのものが立ち上がってきて、平安末期の世界に入り込ませる。
 木下の強い意向を受け、瀬川は1983年から8年間、50代のほぼすべての時間をかけて、長野県・青木村の「担雲亭」と名づけた大きな古民家で制作した。膨大な資料と丹念な取材をもとに登場人物の複雑な心情をすくい、人間的な魅力のほか、あさましい人間臭さまで描いた。
 いっさい妥協せず、真正面から取り組み、その日々を自ら「難行苦行」と評したという。そうして重厚で高雅で美しく、かなしみに溢れた絵巻が完成した。9巻のラストシーンの戦場での最後の合戦は、折りたたみページを開く大画面に壮大で繊細に描かれ、裏には主もいない虚しい船々が潮に引かれ風に従って、どこを指すこともなくゆらゆら揺れている。
 桜が咲いたころ、別な古書店で同じ『絵巻 平家物語』に遭遇し、文通している102歳の大叔母が浮かんだ。好奇心旺盛で読書家なのだが、さすがに細かな文字は読みにくいと聞いていた。絵心があり、ある時期からはキャンバスでなくスケッチブックや絵日記に思うまま描いている。
 コロナの様子をうかがっていたが届けるのはあきらめ、6月中旬に宅急便で送った。10日ほどして、大叔母から手紙が届いた。
「早速、忠盛の編を読み、さまざまのことを想像していましたが、めまいと視力の衰えで中断しているところです。これから800年も前の世の中を見られると思っていたのに、がっかりです。落ち着いたら、読むのが楽しみです。時はどんどん過ぎていきます。できる時になんでもやってください」
 便せん3枚にそのようなことが書かれていた。大叔母は9人の主人公に何を感じ思うのだろう。そのうち『絵巻 平家物語』談義をしたい。

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