165回 森は海の恋人(2021.11.15)

大越 章子



画・松本 令子

人のこころのなかに木を植え、森をつくる

森は海の恋人

 NHKの朝ドラ「おかえりモネ」が10月末で終わった。気仙沼湾の架空の島・亀島で両親と祖父母、妹と暮らしてきた百音(ももね)の物語で、東日本大震災が起きた中学3年生からの10年が描かれた。藤竜也さんが演じた祖父の龍己は牡蠣の養殖を営み、手間をかけた牡蠣づくりをしていた。
 ドラマでは龍己が幼い百音たち姉妹を連れて、山林に広葉樹の苗木を植える回想シーンが繰り返し登場した。「この山の葉っぱが海の栄養になんのさ。山と海はつながっている。まるっきり関係ねえように見えるもんが何かの役に立っていることは、世の中にたくさんあるんだ」と。
 龍己のその言葉に、気仙沼の舞根で牡蠣の養殖をしている畠山重篤さんがオーバーラップした。
 
 畠山さんは地元の水産高校で学び、家業の牡蠣の養殖を継いだ。高度成長期、気仙沼の海でも赤潮が発生するようになった。対処法に悩んでいた時、ふとしたきっかけでフランスに牡蠣養殖の視察に行き、海に注ぐ川と上流の森に目を向けるようになり、森と川と海はひとつのものと気づいた。
 さらにテレビで「沿岸域の生物生産と川と森林が密接にかかわっている」と、説明する北海道大学の松永勝彦さんを知り、その晩すぐ夜行列車に乗って訪ねた。松永さんは、森林の腐葉土のなかにできる酸化されない鉄が川から海に流れ、牡蠣の餌になる植物プランクトンを育てる素になることを解明していた。
 その後、畠山さんは気仙沼湾と湾に注ぐ大川との関係調査を松永さんに依頼。10年ほどかけた調査の結果、気仙沼湾の植物プランクトンを育む鉄やリン、窒素などが大川から供給されていることが実証された。畠山さんは漁師仲間と一緒に、舞根湾から30km上流の室根山に木を植え始めた。
 その取り組みを初めは多くの人が白い目で見ていた。しかし、そのうち室根山の落葉広葉樹の植樹活動は広がっていき、20年後、舞根を含む気仙沼湾は植物プランクトンで満ちあふれた豊かな海に変貌した。やはり森は海の恋人だった。

 2009年、畠山さんはいわきで20年の経験を講演した。森と海のつながりを多くの人に知ってもらうために実践している体験学習にもふれ「一番厄介なのは人間の意識。人の心のなかに木を植え、森をつくらなければならない」と語り「12000本の川をきれいにして沿岸から1㎞の汽水域で海藻を育てたら、日本の海は豊かになる」と話した。
 2年後、東日本大震災が起き、畠山さんが暮らす舞根も巨大津波に襲われた。九割の家が流され、畠山さんの母の小雪さんを含む四人が亡くなった。かつて松永さんに調査をお願いする際に「船を新しくする時のためにと思っていたけれど、これを調査費に使ってちょうだい」と、お金を渡してくれた母だった。
 海は油や火などで真っ黒になり、生きものが全部消えた。しかし植物プランクトンは、牡蠣が食べきれないほどいた。「大丈夫、海は戻ってくる」。畠山さんはそう確信した。予想通り、絶望的に思われた気仙沼の海は短い間によみがえった。森を育て、流域を整えていたことが効を奏した。
 いま、畠山さんは78歳。生きものが好きな孫と雑木を歩き、海へ出て、すべての生きものがかかわり合って生きていて、人間もその輪のなかで生かされていることを教えている。

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