万本桜の山に家族で植えたヤマザクラ
Father tree |
10月最後の日曜日、平中神谷のいわき万本桜の山に家族で桜の苗木を植えた。震災・原発事故から2カ月後に「なにか気分が明るくなることを」と、志賀忠重さんが自宅近くの山に仲間と植え始め、9万9千本の桜の山を目指し、希望者を募って毎年10月から4月にかけて植樹祭をしている。
すぐ近くの、壮大なわくわくするプロジェクトに「わが家でも植えたいね」と、家族で前から話していたが、そのままになっていた。今年、父の7回忌を迎え、万本桜の山に桜を植えたらきっと父が喜ぶだろう、と法要のころから考えていた。
祖父が秋田の旧制角館中学校の教員をしていたので、父は幼少期を角館で過ごした。両親と2人の兄の5人家族。武家屋敷通りから1本入った通りの家で、にぎやかに暮らしていた。しかし父が小学2年生になって間もなく、祖父は病気で亡くなり、祖父母のふるさとのいわきで家族4人の生活を始めた。祖母は結婚前にしていた教員の仕事に復帰し、3人の息子を育てた。
角館には家族で3度、訪ねている。初めて行ったのは30年以上前で、父の思い出めぐりをした。武家屋敷に程近いかつて住んでいた家、祖父が教壇に立っていた旧制角館中学校、冬にはスキーをした古城山、桧木内川ではウナギを捕ったという。
ほかにも、たくさんの実がなった栗の木や、祖母が親しくしていた婦人の家など、幼少期の記憶にしては驚くほど詳細で鮮明だった。角館を離れたあと、祖母や伯父たちと何度か訪れていたからだろう。
祖母は生前、身のまわりに樺細工の品々を置き、愛用していた。祖父がいた角館の暮らしは祖母や父たちにとって、かけがえのない幸せな日々だった。思い出を話しながら角館をうれしそうに案内してくれた父の姿からも、それはよくわかる。
万本桜の山に植えたのは、わたしの身長よりずっと高い3、4年ものの山桜の苗木だった。苗木の種類に選択の余地はなかったが、晩年まで山に登っていた父には山桜が似合っている。40ヘクタールの山で、その日に植樹するエリアでのそれぞれの場所をくじで決め、現地に向かい、植え方を教わった。
植樹する場所にはあらかじめ小さな穴が掘られている。そこを苗木の根がすっぽり埋まるぐらい、スコップで深く大きく掘っていく。粘土質だからかなり力がいり、家族で交代して掘っても思うように穴は広がらない。「これぐらいでいいですか」と、スタッフに何度聞いただろう。その度に「まだまだ」と言われ、スコップを動かした。
ようやく穴が掘れたら苗木を入れ、肥料を混ぜながら土を半分戻して水をたっぷりかけ、棒を幾度もさして空気を抜き、さらに肥料を混ぜながら土をかけて固めた。「おおきくなれ、おおきくなれ」と、こころのなかでつぶやきながら。
そのあと2本の添え木を交差するように地面に打ちつけ、苗木をひもで結んで固定した。最後に苗木の前に1メートルほどの角材を立て、そこにわが家の桜の名前を書いたプレートをつけた。「Father tree」。植樹までの1カ月、家族であれこれ考えて名づけた。そして、もう1度、たっぷり水をかけた。
植樹後、母は時々「パパの桜はどうしたかしら」と言う。気になるようなので、2週間後の日曜日、お弁当を持って万本桜の山に行った。天気のいい日で、Father treeは陽の光を浴びて、地域を見つめるように立っていた。しばらくそばで話をして、すぐ上にある東屋でお弁当を広げた。
父を思って植えた苗木だったが、わたしたちも楽しめ、未来への贈りものにもなる。9万9千本という数字は中国で「永遠」を意味する99に由来している。いま、山に植えられている桜は4千4百本ほどで、まだまだ果てしない。
何世代もバトンをつないで、いつの日か、志賀さんが言っているように、宇宙からも見られる桜の山になるといい。
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