168回 モーゼスおばあさん(2022.2.15)

大越 章子



画・松本 令子

人生はいつでも自分でつくり出す

モーゼスおばあさん

 グランマア・モーゼスという、アメリカのおばあさんがいる。学生時代、定期購読していた雑誌に、101年の生涯と70代半ばから描き始めた絵が紹介され、以来、大好きなおばあさんの1人になった。新宿の東郷清治美術館(現在はSOMPO美術館)には作品がいくつも収蔵されていて、たまに会いに出かけている。

 おばあさんの名前は、アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス。1860年、ニューヨーク州のグリニッチの農夫の家に生まれた。小学校を中退して12歳から住み込みのお手伝いとして働き、27歳で結婚。それを機にヴァージニア州に移り住み、夫と小さな農場を始めた。
 ヴァージニアでの18年間の暮らしので子どもが10人生まれ、うち5人は赤ちゃんのころに亡くなった。モーゼスは家事や子育てをしながら、バターやジャム、ポテトチップスを作って家計を助けた。慌ただしいなかで、火曜日はアイロン掛けと繕いもの、水曜日はパン焼きと掃除というように、毎日の仕事を決めていたという。
 やがてニューヨーク州に戻り、イーグル・ブリッジに農場を買った。そのうちに子どもたちは自立して家庭を持ち、働きづめの生活に余裕ができた。孫が生まれると毛糸の刺繍絵を作り、居間のファイヤーボード(炉ぶた)やテーブルの脚などに絵を描いた。
 1927年に夫が亡くなり、それからは炉辺に座っていることが多くなった。ある日、リュウマチで針を上手に持てない姿を見た妹に「刺繍絵をやめて、絵を描いてみたら」と勧められた。75歳で初めて油絵の具と絵筆を買い、本格的に絵を描き始めた。
 数年後、近くのドラッグ・ストアのショーウインドーに飾られた絵が美術蒐集家の目に留まり、80歳で初めての個展を開き、この時から「モーゼスおばあさん」と呼ばれるようになった。そしてトルーマン大統領とお茶を飲み、『ライフ』や『タイム』の表紙を飾り、作品は切手になるなど、アメリカ人ならだれもが知る画家になった。
 
 絵のテーマは主におばあさんが経験したなかから、記憶をたどって描かれている。農場の生活、そこで働く人々の姿、四季折々の風景。具体的には、メープルシロップやアップルバター作り、洗濯の日の日曜日、収穫、それにピクニック、クリスマス、そり遊び……そこには幸福な時間が流れている。
 その時々、こころに浮かんだ、楽しくていきいきしたものを描いた。戸外で多くの時間を費やして繰り返し観察し、自然な色合いを模索。次第に構図は凝縮され、筆づかいも自由に、抽象的になっていった。絵が売れるようになっても絵筆はすり切れるまで使い、コーヒーの空き缶に絵の具を入れ、缶のふたをパレットに使い、質素な姿勢のままだった。
 生涯に描いた絵は約1600枚。病室にまで画材を持ち込み、101年という長い人生の最後まで描き続けた。最後の絵は「虹」。見つめていると「人生は自分でつくり出すもの。常にそうだったし、これからもそうあり続けることでしょう」という、自伝の最後の文章が浮かんでくる。幸福になるためには、幸福になるための時間を費やさなければならない。
 「もし絵を始めなかったら」とも、おばあさんは書いている。「わたしは鶏の飼育でもやり出したのではないかと思います。いまからだってできると思いますよ」と。それに「わたしの生涯は一生懸命に働いた1日のようなもので、幸福で満足でした」と。
 
 モーゼスおばあさんが亡くなって60年になる。晩秋から東京の世田谷美術館で、生誕160年を記念したおばあさんの展覧会が開かれている。日本での大がかりな展覧会は16年ぶりで、楽しみにしていた。
 2月末まで開催しているが、このコロナウイルスの状況では出かけて行くのは難しい。テレビの美術番組で展覧会の様子を知り、ひさしぶりに画集と自伝を開き、展覧会のオンラインショップを眺めて迷っている。

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