172回 トーベと戦争(2022.6.15)

大越 章子



画・松本 令子

好きなことは互いの世界を尊重できる

トーベと戦争

 ロシアのウクライナ侵攻が続くなか、フィンランドは5月中旬、スウェーデンとともにNATO(北大西洋条約機構)への加盟を申請した。およそ1300㎞にわたってロシアと国境を接する。侵攻を機にNATO加盟への国民の支持が広がったという。
 フィンランドは第二次世界大戦で、当時のソ連から軍事侵攻を受けてきた経験を持ち、冷戦時代を含めてこれまで長く軍事的な中立を保ってきた。NATO加盟を目指すウクライナに反発して侵攻したロシアだが、逆にフィンランドやスウェーデンの警戒心を強めることになった。
 歴史をふり返ると、1917年にロシア革命が起きて独立するまで約800年の間、フィンランドはスウェーデンやロシアの統治下にあった。独立翌年には内戦が勃発。1939年にソ連軍の侵攻で冬の戦争、41年には第二次世界大戦に伴うソ連との継続戦争となった。いくらか領土を失っても独立は維持し、44年にナチス・ドイツとラップランド戦争もした。
 フィンランドのNATOへの加盟申請のニュースを聞いて、思い浮かんだのは「ムーミン」の作者のトーベ・ヤンソンだった。その86年の生涯には戦争の陰鬱な影がつきまとった。昨年、日本で公開された映画「トーベ」でも、空爆後のまちを歩くトーベの姿が印象的に映し出されていた。
 トーベは1914年、第一次世界大戦が勃発して間もなく、フィンランドで生まれた。3年後、独立宣言をきっかけに起きた内戦で、住んでいたヘルシンキは戦場になり、彫刻家だった父も前線で戦った。4歳の時に内戦は終わり、7カ月後、第一次世界大戦が終結した。
 1930年代前後、フィンランド各地でテロが多発。39年に第二次世界大戦が起き、トーベが30歳になるまで戦争は続いた。上の弟のペル・ウーロフは戦傷し、下の弟のラルスも徴兵された。ヘルシンキは連日、爆撃を受け、戦争の恐怖と不安のなかでトーベは世界の終わりを見ることになり、こころが深く傷ついた。
 子どものころから絵を描き、本を読み、お話をつくるのが好きだったという。13歳の時に雑誌の子ども欄に初めてさし絵が掲載され、15歳から政治風刺雑誌に描くようになった。第二次大戦中には、独裁者たちを痛烈に揶揄した絵に実名で署名し、横にはいつからか鼻の長いものがあらわれた。
 その原形は、実は幼いころに弟とけんかをした時、トイレの壁に描いた醜い生きもので、ムーミンの姿のもとと言われている。それは少しずつ姿を変え、トーベの分身であるかのように作品のあちこちに登場した。戦争が激しくなるにつれ、絵筆が持てなくなったトーベはその生きものに「ムーミントロール」と名前をつけて物語を書いた。
 ようやく戦争が終わった1945年、ムーミンの最初の物語『小さなトロールと大きな洪水』が出版された。ムーミントロールの母子が失踪した父を捜す物語。翌年には戦争体験が色濃く表れた『ムーミン谷の彗星』を刊行。その2年後に出された『たのしいムーミン一家』が大評判となり、ムーミンの人気は世界中に広がっていった。

 トーベはムーミンの物語のなかで「たいせつなのは、自分のしたいことを、自分で知っていることだよ」と、スナフキンに言わせている。人生で大切なのは、好きなことを徹底してやり続けること。好きなことは悩みや苦しみを乗り越えられるだけでなく、互いの世界を尊重でき、戦争だって回避できるはずだ。

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