岩波ホールがまいたエキプ・ド・シネマの種
映画館のはなし |
7月の初めに開かれた溝井麻佐美さんと足立優司さんのデュオ・コンサートで「ひまわり」を聞いた。映画「ひまわり」のテーマ曲で、麻佐美さんのピアノと足立さんのトランペットの演奏に、どこまでも続くひまわり畑とソフィア・ローレンの姿が浮かんだ。
「ひまわり」を見たのは仙台で過ごしていた学生時代で、リニューアルされたばかりの名画座によく通っていた。入場料は500円、回数券を利用すれば400円だった。百席ほどの小さな映画館で、ヘップバーンの「マイ・フェア・レディ」などは階段に座って見た。
卒業して仙台を離れて数年後、名画座は閉館した。それからも学生時代に行っていた映画館は少しずつなくなり、2018年には仙台で唯一、地元資本の映画館で、大手の配給会社が扱わない作品を上映していた仙台セントラルホールが閉館した。
いま、仙台には4つの映画館があるようだが、そのどれもが学生時代にはなかった。
はじまりを知らせるブザーで、映画館の空気は一変する。スクリーンのカーテンがゆっくり開いて別世界へと誘う。大きなスクリーンと迫力のある音響効果で、観客は瞬く間にその世界に入り込む。終了後、余韻にひたったまま外へ出ると、タイムスリップしたような違和感があって、なじむまでにいくらか時間がかかる。
映画館には、見た作品の内容はもちろん、空間そのものが醸し出す漂いがあって、その時々、いっしょに見た人たちや季節や天気、時間帯などがスパイスとなり、作品を印象づける。それがやがて思い出に深く入り込む。
初めての映画は4、5歳のころ、日劇で見たディズニーの「白雪姫」だった。上映前に白雪姫と七人のこびとがステージに現れ、客席まで下りてきて歌い踊った。それは楽しい時間で、劇場の雰囲気を映画とともに覚えている。
一度は行ってみたいと思っていた岩波ホールで映画を見たのは、5年前、アメリカを代表する女性詩人エミリ・ディキンスンのベールに包まれた半生を描いた「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」だった。
岩波ホールは一九六八年、岩波神保町ビルの10階に多目的ホールとして開館した。6年後、総支配人の高野悦子さんが映画文化活動家の川喜多かしこさんと、世界の埋もれた名作映画を紹介する「エキプ・ド・シネマ」(フランス語・「映画の仲間」の意味)の活動をそこで始めた。
最初に上映したのはインド映画「大樹のうた」。以後、日本では取り上げられない世界各国の作品を独自に選んで映し、ミニシアターの先がけになった。「その国の人々の思い、文化、歴史…いろんなものを1本の映画は背負っている」。そう考えての作品選びは、観客から信頼が厚かった。
半蔵門線などの地下鉄の神保町駅から直結していて、1階でチケットを買ってエレベーターで上がれば、岩波ホールにたどり着く。想像通り、小さなホールのような心地いい空間で、エミリ・ディキンスンに捧げられたオマージュのような作品を堪能した。
白いドレスを着て、北米の小さな町にある屋敷から出ることもなく詩を書き、無名のうちに55歳で亡くなったエミリ・ディキンスンの半生が、20篇の詩を折り込みながら描かれた、美しくせつない映画だった。
その岩波ホールが7月29日に閉館する。耐震性の強化やスクリーンを新調するなどの工事をして、昨年2月にリニューアルオープンしたばかりだった。新型コロナウイルスの影響で休館もして経営が難しくなった。それに昔からのファンの高齢化もある。
ここ5年ほど、岩波ホールで上映した作品が一部、タイムラグはあるものの、いわきでも見られるようになった。岩波ホールは54年の歴史に幕を下ろすが、この間、全国に「エキプ・ド・シネマ」の種をまいた。
時代のなかで、残念ながらスクリーンのカーテンは消えてしまっている。でも、はじまりのブザーが鳴るといまも映画館の空気は変わり、こころがときめく。
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