

青年の心象風景をともに旅する
シューベルトの「冬の旅」 |
10月初旬、シューベルトの「冬の旅」(全曲)をいわきアリオスの小ホールで聴いた。ドイツのリート歌手のクリストフ・プレガルディエンさんの歌と、ミヒャエル・ゲースさんのピアノ。ドイツの詩人ヴィルヘルム・ミュラーの詩に曲をつけた二十四曲の歌曲集で、いつか生で全曲を聴きたいと思っていた。
というのも30年近く前にシレーネカンタンテという、いわきの女声アンサンブルのコンサートで「冬の旅」のなかの5、6曲を聴き、強く印象に残ったからだった。ドイツ語なので歌詞の意味はわからなかったが、7人ほどの女性たちのハーモニーは情感が豊かで、こころにしみた。菩提樹のほかは曲名を忘れてしまい、一番胸に響いた最後の曲は何だったのか、と思うことがあった。
「冬の旅」は、恋にやぶれた青年が生きる希望をなくし、あてどない冬の一人旅に出かけ、そこで体験するさまざまな感情をうたっている。シューベルトが「冬の旅」の作曲を始めたのは1827年2月。前半の12曲を数週間で完成させ、友人たちに自ら歌って聴かせた。全体的に灰色の色調で覆われていて、あまりの暗さに友人たちを驚かせた。
その4年ほど前からシューベルトは病気がちで、経済的にも苦しく孤独だった。「冬の旅」の前半が作られたころ、あこがれのベートーベンがこの世を去り、半年後にはミュラーも亡くなった。間もなくシューベルトは後半の12曲の作曲に取りかかり、翌年秋、病床で熱に浮かされながら校正。後半は死後に出版された。31歳の短い生涯だった。
シューベルトは3歳の時、誕生したばかりの妹を翌日に亡くしている。喜びが一変して悲しみとなり、それが幼いシューベルトのこころに深く刻まれ、体調が悪くなり始めた25五歳ごろに自身の死を予感し、その恐怖にとりつかれるようになったという。
さて、アリオスでの「冬の旅」のコンサートは、とても贅沢だった。プルガルディエンさんのテノールは自然体で豊かな深い感情を表現し、ゲースさんの繊細なピアノは複雑な心理を描写する。現実と虚構の間をさまよう青年の揺れるこころが、ワンシーンずつ現れては消え、失恋した青年の心象風景をともに旅しているようだった。
荒涼とした凍てつく冬の世界ではあるけれど、つかの間、やさしく、明るい、穏やかな空気に包まれる。ドラマチックな演出のないプルガルディエンさんのテノールと、息の合ったゲースさんのピアノは、シューベルトが親しい友人たちを集めて歌ったサロンのようななごやかさがあり、親しみを感じた。
シレーネカンタンテのコンサートで一番胸に響いた曲はわからないままだが、年齢やその時のこころ模様で感じ方は違ってくる。折にふれ、繰り返して聴いていると、もっと見えてくるものがあるように思う。
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