179回 おてがみ(2023.2.28)

大越 章子



画・松本 令子

美しい読みものにふれることは何よりです

おてがみ

 時々、手紙のやりとりをしている大叔母がいる。父方の祖母の妹で、1918年(大正7)生まれの104歳、いわき市内で四世代の家族と暮らしている。小学校も女学校も無欠席で通い、勉強が好きで予習・復習に明け暮れ、身体を心配した父親に「学校をやめさせてしまうぞ」と叱られたほどだった。
 絵や文章をかくことと読書を好み、100歳を過ぎてもスケッチブックに向かい、暮らしのひとこまを絵日記にし、俳人の坪内稔典さんが毎日新聞に連載している「季語刻々」を日々、楽しみにしている。年齢とともに視力は弱り、いま、右目は0.3、左目は明暗を感じるだけ。それでも本が大好きで、比較的大きな文字で書かれている絵本などを読んでいる。

 このところ、大叔母の手紙の多くを占めているのは、アーノルド・ローベルの「がまくんとかえるくん」のものがたり。昨秋の誕生日に贈った、がまくんとかえるくんのお話をすべて集めた大判の本『ふたりはしんゆう』がとても気に入り、手元に置いて繰り返し読んでいるという。
 「がまちゃん、かえるくん、なんと素晴らしい性格でしょう。無邪気で素直で、他者を思いやり、こころから愛するがまちゃん。私もとても嬉しくなります。一寸大人びた気持ちを持ちながら面倒もみて、世界をまるく収めてくれるかえるくんも偉く、すべてに感心しました。美しい読みものにふれることは何よりです。私、すぐ感動します」
 昨年末の手紙にはそう書いてあり、くすくすしながら頁をめくる大叔母の姿が浮かんだ。1カ月前の手紙は「こんなに感銘を受けた本に会ったことはありません」と始まり、次のように書かれていた。
 「わたしは作者の行き届いた画風をとても尊敬します。ひと目見ただけで全体を把握し、同感しました。人間だって、この2匹のかえるのような道を踏んで行道すれば、正道ですね。わたしのようにボロボロの老体でも、まだ何とか正道を歩きたいです」と。
 「がまくんとかえるくん」のものがたりには「おてがみ」というお話がある。「手紙をもらったことがない」と嘆くがまくんに、かえるくんはこっそり手紙を書いた。でも配達をかたつむりに頼んだものだから、なかなか届かない。待ちきれなくて、かえるくんはその内容をがまくんに話してしまう。そして、ふたりはしあわせな気持ちで、かたつむりが来るのを玄関の前で待つ。
 手紙を書くことも好きな大叔母はきっと、このお話を何度もうなずきながら読んでいるだろう。大叔母は一昨年、右手首を骨折したが、そんなときでも「骨折しているので字が震えているけれどご判断ください」と、手紙が届いた。便せんや封筒は鳩居堂のものを使い、記念切手が必ず貼ってある。
 2週間前に届いた手紙には「記憶というものは消えないものですね」と、昔、夏休みに小名浜の母親の実家へ姉妹で海水浴に行ったことが綴られていた。男兄弟を除くと大叔母は7人姉妹。「でも今は、わたし1人になりました。昨日、湯本の妹が亡くなりました。7人姉妹も1人残り淋しくなりました」と記されていた。
 湯本の大叔母は101歳だった。40歳の時に夫が病に倒れ、一念発起して運転免許をとり、化粧品の店を開いて、女手ひとつで4人の子どもを育てた。近くで暮らしていることもあり、ふたりの大叔母は高齢になるにつれ、がまくんとかえるくんのように互いに励まし支え合ってきた。
 その手紙は「妹もこれから昇天です。ゆっくり休んでいただきましょう」と締めくくられている。がまくんとかえるくんのお話を読みながら、大叔母は湯本の大叔母を想っているかもしれない。

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