自然にやさしく心地いい楽しい暮らし
ベニシアさんのおくりもの |
ハーブ研究家のベニシア・スタンリー・スミスさんが6月に亡くなった。72歳だった。京都・大原の古民家で暮らし、庭でハーブや草花を育て、自然とともにゆったりした手づくりの暮らしを伝えてきた。その生活はNHKの番組「猫のしっぽ カエルの手」でも放送されてきた。ここ6年ほどは病と向き合い、その時々の自分を受け入れて過ごしていた。
ベニシアさんは1950年、イギリスの貴族の館で知られるケドルストンホールで生まれた。幼いころの夢は、庭の花やハーブの世話をしながら田舎家で家族とともに暮らすこと。18歳で社交界にデビューしたが貴族社会に疑問を持ち、19歳の時、瞑想の先生を訪ねてインドに行き、呼吸を大切にゆっくり生きることを教えられた。
それからさらに東へと向かい、1971年に船で鹿児島に着いた。3年後、日本人と結婚して3人の子どもが生まれ、36歳の時に離婚した。当時、子どもは娘が12歳と11歳、息子が8歳。京都の自宅の1階を英会話教室にして1日に9時間教え、ひとりで父と母の役割を果たした。
1991年に山岳写真家の梶山正さんと再婚し、男の子が生まれて6人家族になった。5年後、大原の築100年の古民家に家族で移り住み、3カ月かけて家をおおまかに修理し、庭作りを始めた。1つの庭に1年ほどかけ敷地内に9つの庭を作り、さまざまな花や木、150種類ほどのハーブを育て、そのハーブを使って楽しく心地よく暮らしてきた。
例えば、食器洗いには消毒効果があるローズマリーを煎じた石けん水を使い、虫除け効果の強いシトロネラやレモングラス、ラベンダーのオイルで虫除けスプレーを作ったり、梅酒を作る際にはレモンバームの葉を加えておいしさと健康効果をアップさせたり。
大原の人たちとも積極的にかかわり、生活のなかに息づく智恵を教えてもらい、ハロウィンでの子どものお楽しみ「trick or treat」やアフタヌーンティなど異文化を伝え、その土地に少しずつ根を下ろしていった。
ベニシアさんは時々、頭のなかで地球をイメージした。そして身体に、子どもに、自然に安心を考え、できるだけ昔からのものを使いたいと思い、どこの家庭でも以前は普通に使われていた木桶やかご、火鉢などをいまの暮らしに生かした。畳替えをし、ふすまを張り替え、欄間も大事にした。
2018年ごろからだった。ベニシアさんは「目がよく見えない」と言うようになった。眼科で白内障と診断されて手術をしても改善せず、その後、精密検査を受けて後部皮質萎縮症(PCA)という病気であることがわかった。目の病気ではなく視覚機能などに影響を与える珍しい病気で、徐々に言語や記憶、運動にも障害が出てくる。
ベニシアさんはとてもショックを受け、毎日のように泣いていたが、ある日ふと「人間も自然の一部」と、自身の病を受け入れられたという。「大丈夫、ネガティブに考えず、美しく生きよう。毎日、こころ穏やかでいたい」と考えるようになり、家族や友人に助けられながら1日1日を過ごしてきた。症状が進み、一昨年夏に介護施設に入り、この六月、帰らぬ人となった。
「人生はおもしろい。いろんな人がこうなってほしいというのがあるが、でも全然違うことが起きることがある。その時は受け入れるしかない」。ベニシアさんは生前、そう話していた。「人生はどこまでも続く踏み石をひとつひとつ渡っていくようなもの」と。
会いたいと思いながら1度も会えないままだったが、スーザン・バーレイの『わすれられないおくりもの』のみんなのアナグマさんみたいに、日々の暮らしのなかでベニシアさんを思うことは多い。
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