見渡す限りの銀世界にぽつんと立つ一本桜
初冬の盛岡へ |
「来年は盛岡のセイコさんを一緒に訪ねましょう」。大宮で暮らすフジコさんとそう約束したのは去年のいつごろだったか。来年(2023年)というだけで具体的に「いつ」とは決めず、3人の都合が合った時に盛岡へ行こう、と思っていた。
さくらが咲き終わって緑の美しい季節となり、夏がやってきたころ、フジコさんから「私の本…『卒業』というタイトルにしました…10月出版の予定です。そのころ元気でお目にかかれるよう、自重して過ごします」と、メールが届いた。
そして晩夏には「私の本は来月半ばごろにできるので、セイコさんをお訪ねできるのは11月に入ってからと思います」と連絡があり、一緒に行ける日をメールで伝え、11月30日、冬が初まるころに盛岡へ行くことになった。
セイコさんとフジコさんは大学時代からの親友で、フジコさんは大学院生の時に、1学年先輩で、いわき市江名出身の佐藤武弘さんと平安後期の王朝物語を読んでいた。武弘さんは34歳の時に小説「それからの二人」で「小説現代」新人賞を受賞したが、その後、持病の糖尿病が悪化して、翌年の夏に35歳で亡くなった。
2年後、フジコさんは同人誌に「夢のなかで」という小説を発表した。武弘さんの告別式に参列するため、大宮から初めていわき市の江名へ行ったことが中心に描かれている。そこには、そのころ石川啄木の故郷・渋民村(現在は盛岡市渋民)の近くで中学校の先生をしていたセイコさんも登場する。
武弘さんの33回忌の2010年、フジコさんとセイコさんがお墓参りにいわきへ来た際、ちょうど新聞で武弘さんの特集をしたばかりで、妹のイクコさんや高校時代の同級生のフミタダさんも一緒にみんなで食事をした。それがフジコさんとセイコさんに会った最初だった。
それから、ふたりと手紙や電話、メールなどで時折、連絡し合い、2016年にお墓参りに来た時は一緒にお参りして、翌日は、北茨城の天心記念五浦美術館や六角堂などまで行った。
いわきから早い時間に仙台へ向かう特急列車はないので、盛岡には郡山から新幹線(やまびこ)に乗り、仙台でフジコさんが乗っている新幹線(はやぶさ)に乗り換えて合流した。盛岡は前日から雪が降っていたが、駅に降り立った時はすでにやんでいた。
セイコさんの家は、北上川にかかる開運橋を越えたまちなかにある。7年ぶりの3人の再会を喜び合い、早速、フジコさんから、できたての著書『卒業』を手渡された。銅版画家の岸本望さんの作品「読書会」を表紙に、同人誌に発表した七編の小説が収められている。同人誌は昨年、7号で閉刊した。
その日の午後は、セイコさんの妹さん夫妻が車で小岩井農場の牧草地に立つ一本桜を見につれて行ってくれた。100年ほど前の明治40年代に植えられたというエドヒガンで、放牧地だったころに暑さが苦手な牛を夏の日差しから守る「日陰樹」として利用されたという。NHKの朝ドラ「どんと晴れ」の一本桜と言った方がわかりやすいかもしれない。
見渡す限りの銀世界にぽつんと立つ一本桜。その姿はもちろん、青空と雲と雪のコントラスト、陽の光がつくる木々の繊細な影がとても美しく、みんなで何枚も写真を撮った。「寒い時にもアイスクリーム」と、手づくりアイスクリーム牧舎「松ぼっくり」でそれぞれ好みのアイスを買って、車中で食べた。
翌日は町屋まで行って、伊吹有喜さんの著書『雲を紡ぐ』(文藝春秋)にも登場している所をあちこち巡って、まち歩きをした。それは楽しい2日間で、一本桜の写真を眺めているとその2二日間が鮮明に浮かんでくる。春、一本桜が咲くころにまた行きたい。
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