189回 天満敦子さんのこと(2024.4.15)

大越 章子



画・松本 令子

とにかく前を向いて。きっと道は開ける

天満敦子さんのこと

 

 このあいだNHKの「ラジオ深夜便」で、バイオリニストの天満敦子さんのインタビュー番組が放送された。たまたま聞いていた母に「天満さん、頚椎を損傷して手術をされたみたい」と教えられ、後日、ネットラジオ「らじるらじる」の聴き逃しで、そのインタビューを聞いた。

 それによると、天満さんは2021年秋から体調がすぐれず、ものが持てなくなった。病院で原因をいろいろ調べてもらうなか、頚椎を損傷していることがわかったという。手術する1、2カ月前からは、赤ちゃんのようにはいはいして過ごしていた。
 22年3月に手術を受け、首に金属製のものを12本入れて固定。入院はリハビリを含め、半年近くになった。箸が持てるようになるなど少しずつできることは増え、手術して1年経ったころには杖をついて歩けるようになった。

 首が真っ直ぐに固定されているので、バイオリンを斜めに持って首ではさむ力は弱く、滑り止めをつけるなど、さまざまな試行錯誤を重ねている。1年半ぐらい前から、演奏会でいつも一緒に弾いていたピアニストの所へ月に1回、バイオリンを抱えて行って、稽古している。
 バイオリンを構えるのが唯一の首のリハビリで、天満さんはバイオリンを持つと、背筋がピンと通るように感じるという。体調を崩す前も、バイオリンを持つとスイッチが入ったみたいで、その瞬間が好きだった。
 どうしても、元気な時の自らの演奏を自身に求めてしまうが、そこへ近づくにはまだ遠いらしい。でも弾ける体勢までもっていければ、奏することはできる。調べてみると、昨年5月には東京の紀尾井ホールのステージに立ち、休憩を含めて2時間ほどのリサイタルを始めている。

 元気な時、天満さんは難しい曲に挑んでいた。しかし、いつのころからか、日本のしっとりとした感じの曲に心ひかれるようになり、リサイタルでも演奏している。年齢とともに日本の歌を歌いたくなるオペラ歌手のように、積み重ねてきた経験から奏することを望んでいるようだ。
 「わたしも、そんな年齢になってきた。以前は『こうでなければ』とのいう思いがあったが、いまをやり過ごすことができるようになった」と、天満さんはインタビューで話していた。
 バイオリンの弓が持てなくなって「わたし、どうしたの?」と戸惑い、それから、消えてなくなってしまいたいと思い、術後、バイオリンが持てるようになってからは、1人で悶々と自身と闘った時期もあった。そして、うつうつとはしていられない、とにかく前をみる、という境地に至った。
 日々、生きていくなかで、いろいろなことが起き、打ちのめされそうな時もある。そういう時は真正面から向き合って悩み苦しみ、方策をとったら、あとはやり過ごして前を向くのがいい。きっと道は開ける――天満さんのインタビューはそう伝えている。

 ラジオの放送後に紀尾井ホールで開かれたリサイタルを聴いた知人は「私見だけれど」と前置きして「『望郷のバラード』といい、そもそも天満さんは『なくしてしまったものへのいとしい思い』をテーマにしていると思う。郷愁がしみとおるバイオリン」と話していた。このあとも、天満さんは7月には浜離宮朝日ホール、8月には八ヶ岳高原音楽堂でリサイタルを開くようだ。

 

そのほかの過去の記事はこちらで見られます。