自転車で巡り、暮らす地域を深める
くさの時空散走 |
気になりながら4、5年ずっと物置に入れたままの新品の自転車があった。車に積んでどこへでも持って行けるようにと取り寄せた折りたたみ自転車で、届いた時に説明書を見ながら組み立てて庭で試し乗りし、それきりになっていた。
いわき時空散走の草野ツアーに誘われ、間近に迫った休日に慌ててほこりだらけのその自転車を物置から出して、サイクルショップで点検してもらった。店の主人はへこんだタイヤに空気を入れ、ブレーキを修理し、前と後ろにライトをつけてくれた。ついでに、壁に並ぶヘルメットの中から1つ選んで購入した。
自宅に帰って周辺を少し自転車で走ってみた。サドルをほどよい高さに合わせてペダルを踏み、ふらつきながら出発。100メートルほど進んで角を曲がり、さらに数百メートル先で曲がって、ぐるり1周。久しぶりの感覚だった。ツアーまでにもう1回、乗れるといい、と思っていたが、それきり当日を迎えた。
11月半ば、その日は早めの昼食をとって、集合場所の草野駅に自転車で向かった。
いわき時空散走は、自転車に乗って散歩するように地域をゆっくり巡り、歴史や文化にふれ、暮らす人々と言葉を交わし、食を楽しむ。観光家で社会実験者の陸奥賢さんをプロデューサーに、プロジェクトのメンバーとツアーの案内役のサポーターが、事前に地域を訪ねて宝物を発掘し、絵地図を作って見つけた場所をツアーで巡る。
とりあえず昨秋から、いわき市内の14の駅をスタート・ゴールにツアーを始めている。暮らす地域を深めるのもいいし、興味のある地域を探険するのもいい。自転車を連ねて、みんなで一緒に巡ってそのまちを知り、感じて、考えて、それぞれが次のドアを開ける。
草野ツアーには17、8人が参加。自己紹介とルートの説明のあと、ひとしきり2年前に建て替えられた駅舎が話題になった。取り壊された木造の駅舎にはいろいろな思い出がある。その昔、火傷の治療で有名だった皮膚科が近くにあり、駅には包帯を巻いた人たちが多くいて、ある有名歌手も通っていたとか…など、話は尽きない。
「では出発します」。子どものころ10月1日のお祭りが楽しみだった愛宕花園神社、境内に曾我兄弟供養塔がある来迎寺、初代が浅草で修行したわたなべ飴本舗、それから農家古民家ゲストハウス「がんぷはうす」、片寄平蔵の自宅門だった乳房門、なんとも気味の悪い感じの死人田跡、光明寺にある片寄平蔵の墓を自転車で訪ねた。
花園神社では社務所に立ち寄り、安産祈願や婦人病の治癒を願って奉納されたアワビの絵馬とおしらさまを見せてもらった。江戸時代に建てられたゲストハウスでは、囲炉裏を囲んで築290年ほどになる建物の話を聞き、小さなおにぎりでエネルギーを補給した。
死人田跡は自転車を降りて、近くまで歩いた。その田んぼで米を作ると必ず人が死んでしまうという言い伝えがあって、作り手がいなくなり、田んぼは光明寺に預けられたという。明治半ば、この田んぼは常磐線の用地となり、敷設工事で掘ったために沼(汽車沼)ができ、いまでは周りをススキや茅で覆われている。
この話は民俗研究家の高木誠一の『磐城北神谷の話』でふれられていて、全国的にこのような田んぼが存在し「死人田」や「病田」と呼ばれている。片寄平蔵のお墓にたどり着いた時には、もう夕やみが迫っていた。わたなべの石炭飴(ニッキ飴)を供えて手を合わせ、草野駅で解散した。
およそ3時間半のツアー。巡りながら、暮らしている一番身近なまちがいとおしくなった。前後のライトをつけて家路を急ぐなか、またすぐにでも自転車に乗りたい気分だったが、あれから1カ月、自転車は物置に入ったまま。春や秋に自転車で散歩して「地域を知る」を深めたい。
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