198回 10年前の展覧会(2025.2.15)

大越 章子



画・松本 令子

聖セシリアの静かな微笑みとぬくもり

10年前の展覧会

 

 少し前に、NHKEテレの日曜美術館で「舟越保武と子どもたち」を放送した。彫刻家の舟越保武(1912-2022)には7人の子どもがいて、その多くが芸術関係の道を選んだ。子どもたちの生きざまと言葉を通して、保武が体現した美しさを考察する番組だった。
 保武は岩手県一戸町生まれ。父は熱心なカトリック信者で、子どものころは日曜日に必ず教会のミサに連れて行かれ、嫌でならなかったという。盛岡中学(現在の盛岡一高)で同級生の松本竣介とともに絵画クラブに所属し、高村光太郎が訳した『ロダンの言葉』を読んで彫刻家を志した。
 東京藝術学校(現在の東京藝術大学)で学び、独学で石彫の直彫りを始めた。1950年に、父の生前には拒んでいたカトリックの洗礼を、家族全員で受けた。前々年に生後八カ月の長男の一馬、親友の松本竣介を立て続けに亡くしていた。
 以後、カトリックの信仰を主題にした作品を数多く手がけ、絶えず家族に「何を美しいと思うか」と示していたという。その作品はいまも見る者に「美しさとはなにか」を問いかける。
 番組では聖ベロニカ、聖セシリア、聖クララの3人の聖女や長崎二十六聖人殉教者像、ダミアン神父、ゴルゴダなど代表作が紹介された。それらを見ながら、ちょうど10年前に郡山市立美術館で開かれた舟越保武展を思い返した。「まなざしの向こうに」と副題のついた回顧展で、父と出かけた最後の展覧会だった。
 父は間質性肺炎の持病があった。それでも囲碁とゴルフを楽しみ、山に登り、飼い犬と散歩を日課にし、たまに旅行に出かけるなど、支障なく日常を過ごしていた。ところが前年の秋に風邪をこじらせた。一度きりという薬で元気になったものの、それも束の間で、ひどい咳が止まらず気胸を起こして入院した。
 それからは酸素療法といって鼻から酸素吸入が必要になり、自宅にいる時は空気から酸素を濃縮する装置をそばに置き、外出する際は酸素ボンベのカートを引いた。出かけることが大好きだったので、天気のいい休日には体調をみながら、ドライブがてら一緒に外出した。そのような日常のなかで、舟越保武展にも出かけた。
 展覧会のポスターになった聖セシリアは静かに微笑み、ぬくもりと内面からの美しさを感じさせた。ハワイのハンセン病患者の隔離施設で患者たちの支援を続け、晩年に同じ病気にかかったダミアン神父。脳梗塞で右半身の自由を失った保武が左手だけで創作したゴルゴダ…。父は酸素ボンベを引き、時々、座って休憩しながら、ゆっくり見て歩いた。

 気胸になったころから父の病状を日々書き綴ったノートがある。父が亡くなってから一度も開いてなかったが、舟越保武展に行った日のところを読みたくなって、数日前に手に取った。
 「気分転換に郡山の美術館に行く。(駐車場から)美術館まで歩いてひと休み。展覧会も見ているより休んでいる方が長い感じ。お昼は杜のくまさん(パン屋)のサンドウィッチ。パパは一つ食べる」
 そう書いてあって、チケットが挟んであった。5日後、父は再び入院して桜が満開のころに退院した。そしてまた入院して緑の美しい季節に旅立っていった。
 あの展覧会で聖セシリアを見つめる父の姿が目に焼きついている。なにを感じたのか、聞いてみればよかった。

 

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