200回 「やさしく歌って」(2025.4.15)

大越 章子



画・松本 令子

あのころを思い出すお気に入りの一曲

「やさしく歌って」

 

 歌手のロバータ・フラックさんが2月末、88歳で亡くなった。3年前、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病の筋萎縮性側索硬化症(ASL)であることを公表していた。
 アメリカ・ノースカロライナ州の出身。父はピアニスト、母はオルガニストの家庭に育ち、15歳でワシントンにある大学でクラシック音楽を学び始めた。父の死で大学院を中退して、中学校の音楽教師をしたり、ナイトクラブでピアノを弾いたりした。
 1969年、32歳の時にデビューアルバムを発表し、2年後、そこに収録されていた「愛は面影の中に」がクリント・イーストウッド監督の映画に使われた。その翌年にリリースした「やさしく歌って」は、世界的な大ヒットとなった。
 もともとロリ・リーバーマンという若い女性歌手が歌っていたがヒットせず、飛行機の機内でBGMに流れていたのをロバータ・フラックさんが偶然聞いて気に入り、自ら歌ったのだった。日本では、ネスカフェのコマーシャルに使われたのでも、よく知られている。

 きっかけは忘れてしまったが、大学浪人して磐城高校前の高月講習会に通っていたころ、平日の夕方にラジオたんぱ(現在のラジオNIKKEI)で放送されていた「ヤロウどもメロウどもOh!」(通称・ヤロメロ)という若者向けの番組を時々聞いていた。なかでも気に入っていたのは、金曜日のパーソナリティの斎藤洋美さんの「洋美の部屋」のコーナーで、冒頭にロバータ・フラックさんの「やさしく歌って」が流れた。
 そのコーナーで洋美さんはエッセイ語りをした。日々の暮らしで思い、考え、感じたことを自由に話した。テーマはその時々さまざま。本や映画、音楽、美術展、食べ物、風景、植物…そこに洋美さんの感性をふりかけ、洋美さん流に語る。
 例えば、ディズニーランドのアトラクションの列に並んでいた時に見かけた仲睦まじい老夫婦のことや、野菜の断面ばかりを集めた写真集、「きょうは何だかよくないなぁ」と思う日の対処法など。毎回、缶から飛び出してくるドロップみたいに思え、耳を傾けてその日の味を楽しんだ。そこには、ゆっくりのんびり、時には立ち止まったりして、自分のペースでいいんだよ、という洋美さんの思いがこめられていた。
 番組は公開放送のスタジオで生放送されていたので、スタジオに集まったリスナーたちのざわつきや笑い声、問いかけへの返答が聞こえた。リスナーのほとんどは大学生と予備校生、それも男の子ばかりのようだった。洋美さんにハガキや手紙を出したくても何となくためらわれ、志望校に合格したらスタジオを訪ねようと思っていた。ところが洋美さんはその秋、結婚のためにヤロメロを辞めてしまった。

 それから40年ほどが過ぎた。この間、洋美さんをふと思い出すことが幾度もあった。ディズニーシーへ向かうモノレールの中で楽しそうにしている老夫婦を見かけた時や、野菜を切っていて断面が美しいと思った瞬間、「きょうはいけないなぁ」とケーキ屋さんに立ち寄って好みのケーキをいくつも選んでいる時など。洋美さんがラジオで話していたことと、わたしの日常が時折クロスする。
 感受性の強い年ごろだったからだろうか。あのころ聞いていた洋美さんのラジオ番組はわたしをつくっている素材の1つに感じる。そして、ロバータ・フラックさんの「やさしく歌って」は、いつの間にかMy Favorite Songsの1曲になっている。

 

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