

舘野泉さんのピアノへの愛と息をのむような聴衆の感動
| 気賀沢忠文さんの旅行記 |
横浜の気賀沢忠文さんから2カ月ほど前、旅行記が届いた。昨年9月にピアニストの舘野泉さんがインド、ブータン、ネパールに演奏旅行をした際、忠文さんはファンクラブ会員向けのツアーに応募して一緒に旅した。事前に聞いていたので「帰ってきたらお土産話を聞かせてくださいね」と、お願いしていた。
もともと夫人の芙美子さんが舘野さんの音楽と人柄を敬愛し、ファンクラブの会員にもなっていて、夫婦でよく演奏会に出かけていた。年齢を重ねるなかで、いつかゆっくりイギリス、フランス、ドイツなどの友人を訪ねながら音楽の旅をしよう、と夫妻は語り合っていたという。旅の最後はもちろん、フィンランドで舘野さんのピアノを聴いて…と。
しかし芙美子さんは2019年2月、1年半の闘病の末、79歳で亡くなった。それから5年が経ち、身辺が随分、落ち着いてきたなかで、忠文さんはインド・ブータン・ネパールの旅の案内を受け取り、即座に行くことを決めた。と言うのも、ネパールはなじみの国で、舘野さんに「案内して」と誘われているように思えた。
JA神奈川県中央会に勤めていた忠文さんは1993年、49歳の時、ネパールに植林するNGOラブグリーンジャパンで活動する友人に誘われ、2週間の休暇をとって初めてネパールに出かけた。そこには幼いころの原風景が広がっていて「将来、この人たちのために、何かできるかも知れない」という思いに駆られた。
訪れた村には役場をはさんで農業協同組合と病院があって、神奈川県農協の病院の勤務医として農村医療の改善に尽くした父と、日本で農業組合の指導をしてきた自分に重なり、しばしばその光景を思い返してきた。
2004年に定年退職して、忠文さんはJICAシニア海外ボランティアになり、2年間、ネパール政府の国立協同組合教育センターに赴任して講義などをした。この間、インドやベトナム、タイなどを旅して、アジアの国々の状況を肌で感じ、帰国後もアジアなどの研修生たちに日本の農協運動を教え、ネパールの人々との交流は続いた。
舘野さんのインド、ブータン、ネパールの演奏旅行には17人が参加、そのうち男性は舘野さんと忠文さんだけだった。1週間の旅で、一つの国に出入国を含めて2日滞在し、舘野さんはピアノの調律に立ち合い、リハーサルをして本番に臨み、忠文さんたちは演奏会の合間を縫って観光するというハードスケジュールだった。
初日、忠文さんたちは羽田からインドのニューデリーに向かい、フィンランドから来た舘野さんとホテルで合流した。翌日は往復10時間かけてタージ・マハールを訪ね、夜、ニューデリーの美しい小さなホールで舘野さんの演奏を聴いた。プログラム最初のバッハの「シャコンヌ」を弾き始めて間もなく、舘野さんは演奏を中断して、音を吸収してしまうステージ後ろの天幕を少し開けてもらった。
3日目はブータンに移動。標高2300mにあるパロ国際空港は目の前に山が迫っていた。翌日、首都のティンプーで舘野さんは放送局のインタビューを受け、忠文さんはその様子を参観し、午後、特別支援教育を受ける子どもたちが通う学校の講堂で開かれた演奏会に出かけた。
そこで舘野さんが弾いたピアノは14年以上もふれられていない、ふたのネジはなく、フェルトもネズミに食われているようなものだった。そのピアノをインドの調律師が六時間ほどかけて調律した。忠文さんの旅行記には「舘野先生が美しい音で弾くと、息をのむような聴衆の感動が伝わってきた」と書かれている。
5日目はネパールの首都カトマンズへ行き、夕方、日本大使公邸で演奏会が開かれた。忠文さんにとって度々訪れた懐かしい場所。長年の友人とも五年ぶりに再会した。ただピアノは10年弾かれていない錆びついたアップライトのピアノで、予定していたノルドグレンの「振袖火事」の演奏には耐えられないと、別な曲に変更になった。
6日目はネパール最古の仏教寺院スワヤンブナート寺院や、ヒンズー教寺院パシュパティナート寺院、旧王宮広場などを見学し、夕方、日本料理店で旅の打ち上げをした。翌日、一行は帰路に着いたが、忠文さんは仲間2人とカトマンズに残り、10日間滞在して旧交を温めるなどした。
ブータンとネパールは一般にクラシック音楽を聴くことができない土地で、88歳を目前に、舘野さんは演奏を届けたいと思った。伝統音楽が脈々と続いている2つの国に、まったく違うヨーロッパの音楽や童謡「赤とんぼ」、舘野さんの依頼で作られた「サムライ」などを弾いて、音楽の幅を広げた。
忠文さんの旅行記には、舘野さんのピアノへの愛を感じる旅だったことが綴られている。それぞれの国で出会ったピアノは舘野さんが演奏することで再び呼吸を始め、人々のこころに音楽の種を蒔いた。ネパールには思い入れがあるが、3つの演奏会で忠文さんが1番印象に残ったのはブータンという。
旅行記とともに旅のたくさんの写真が同封されていて、その束の上に芙美子さんの写真が2枚のっていた。忠文さんは芙美子さんと一緒に、舘野さんの演奏旅行に同行したに違いない。
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