203回 竹所への旅(2025.8.15)

大越 章子



画・松本 令子

水の豊かな土地で、坂道に家が点在する集落

 竹所への旅

 ここ何年も新潟県十日町市竹所に行ってみたいと思っていた。新潟県南部にある十日町の駅から車で40分ほど、北越急行ほくほく線を利用すると最寄り駅のまつだいからでも約20分かかる山のなかの小さな集落。そこに建築デザイナーのカール・ベンクスさんと、お料理やガーデニングが得意な夫人のティーナさんが暮らしている。
 思い立ってゴールデンウィークの前半が始まる寸前、十日町辺りに三泊それぞれ宿を変えて予約して、後半にいわきから車で出かけた。わが家は目的地に辿り着くまでの途中遊びも熱心で、初日はまったく十日町を散策することなく1泊目の宿に入り、夕食後に地図を見ながら翌日の計画を立てた。
 十日町は2000年から始めた大地の芸術祭を続けているアートのまちで、1年を通してアート作品が楽しめる。2日目は清津峡渓谷トンネルをはじめ、越後妻有里山現代美術館などアート巡りをするとともに、縄文時代中期に作られ国宝に指定されている火焔型土器を博物館で眺めた。立ち上がる大きな突起が燃えさかる炎のようで圧倒された。
 その日は松之山温泉に泊まり、3日目、樹齢百年のブナ林「美人林」を歩き、竹所に向かった。まつだい駅を通り越してカーナビを頼りに走り続けると、竹所の大きな地図と案内板があって、地図にはカールさんが再生した古民家がすべて載っている。その地図をスマートフォンのカメラで撮って、案内板に誘導され左折した。
 1950年代、竹所には40軒ぐらいの家があったという。しかしカールさんが知り合いの大工さんに誘われて訪ねた1993年には9軒に減っていた。その時、出会った1軒の廃屋に魅了されて購入した。荒れ放題の古民家だったが、柱や梁など骨組みは十分使え、2年かけて再生し「双鶴庵」と名づけて暮らし始めた。
 ベルリンやパリで建築デザインオフィスに勤めていたカールさんは22歳の時、空手を学ぶために日本へ留学し、展示場を造ったり、内装を手伝ったりするなかで職人や小さな工務店の人たちと接し、その技術の高さを知った。
 その後、ヨーロッパに戻って本格的に建築デザインの仕事を始めた。日本では壊されてしまう100年以上前の古民家をバラして、骨組みなどをコンテナに積んでドイツに送り、再生させていた。ある時、日本で古民家を探していて、松代に米を買いに行くという大工さんに「古民家があるかもしれない」と誘われたという。
 双鶴庵の完成後、竹所の空き屋をもう1軒買って同じように再生。それが、いまカフェになっているイエローハウス。それからレンガの家、べんがらの家、ホワイトハウスなど、これまで合わせて15軒ほどを再生している。まつだい駅近くの商店街にも老舗旅館を改修し、1階はカフェ、2階がカールさんの事務所。かつての宿場町として栄えたその1㎞の通りにはカールさんが手がけた再生古民家がいま13軒ある。
 棚田が広がる道を上り、ベンガラの家を過ぎてY字のわかれ道を左に行くと一番上に双鶴庵があった。NHKで時々、放送されている「カールさんとティーナさんの古民家村だより」で見ていた通りのバラ色の茅葺き屋根の家で、自然のなかに静かにたたずんでいた。入口にはチェーンが張ってあり、車もないのでカールさんたちは不在のようだった。
 竹所は水の豊かな土地で、双鶴庵の前にも大きな池があり、雪解け水が流れ込んでいた。深呼吸すると、フレッシュなペパーミントグリーンの空気で胸がいっぱいになり、気持ちよかった。棚田が象徴するように、竹所は坂道に家が点在する集落だった。
 Y字の道まで戻って、今度は右へ行ってみると左より家が多くある。カールさんが手がけた家はカラフルなのですぐわかる。さらに進んだY字のわかれ道にはイエローハウス、その先に梨の木ハウスやさくらハウス、レンガの家などがあった。
 イエローハウスでお茶を飲み、屋根裏まで室内を見せてもらった。カールさんの古民家再生はいまの時代の生活に合わせ、その人らしい暮らしができるように造られている。必要に応じて新しい木材も使い、壁に筋合いを入れて構造を補強し、断熱材やペアガラスサッシ、床暖房なども取り入れている。

 竹所から大小さまざまな田んぼが200枚ほど斜面に広がる星峠の棚田まで足を延ばした。雪が消えて田植えまで水鏡になる。今年は雪解けが遅くまだ雪が残っていたが、素晴らしい眺めだった。展望そばのおむすび屋さんで、棚田でとれた米を使った握りたてを買って頬張った。
 帰り道、まつだい駅近くの老舗旅館を改修したカフェで、ティーナさんのレシピのキッシュを食べた。食べ終わるころ聞き覚えのある声がした。カールさんだった。2階の事務所へ階段を上がるのに通りかかったので声をかけ、2階で少し言葉を交わし、並んで写真を撮って握手してもらった。やさしくて力強い大きな手だった。
 竹所と星峠の棚田はいま、どんな風景になっているだろう。訪ねて3カ月しか経っていないのに、また行きたい気分になっている。

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