

まちなかの表通りとは別世界の空間
| レストランのはなし |
デパートを歩きたくなって、時々、水戸や郡山に出かける。わざわざではなく、美術館などに行った帰りに立ち寄ることもある。その日はデパート歩きを目的に、水戸に向かって車を走らせ「昼食はどこか周辺で食べたいね」と、デパートの近くで食べられる店をスマートフォンで探した。雰囲気のよさそうなレトロなレストランを見つけ、電話をかけて予約した。
一時間ほど買い物を楽しみ、「あとは昼食を食べてから」と、グーグルマップを見ながらレストランまで歩いた。数分もかからず入口らしき前に着いたが、店はビルの谷間にある古民家の奥のようで、ほんの少し立ち尽くしたあと、薄暗く長い通路を進み、ドアを開けた。そこはスマートフォンで見た通りのレストランで、賑やかな表通りとは別世界の静かで落ち着いた空間があった。
席は20もなく、やわらかな照明にシャンソンが流れている。ランチメニューは前菜と季節のスープ、メーン料理、食後のコーヒーまたは紅茶が基本で、前菜とメーン料理はそれぞれ五種類から選び、希望すれば料理やデザート、ドリンクなどを追加できる。基本のランチにデザートを加えてお願いした。
料理は一つ一つ丁寧で、気持ちが込められている。ゆっくり運ばれてくるので、しっかり味わいながら会話も弾んだ。そのうちに、水戸のまちなかにいることや、デパートでの買い物のことも意識から消え、贅沢な時間を過ごした。誕生日ケーキが運ばれるテーブルや、記念日にワイングラスを合わせるテーブルもあって、しあわせな空気が流れていた。
この隠れ家のような小さなレストランは夫婦ふたりでやっている。ご主人はシェフ、奥さんはソムリエとテーブルサービス、ふたりの連携が店の心地よさを醸し出している。デザートを食べ終えると、身体から気ぜわしさがすっかり抜け、ゆったりした気持ちになっていた。時計を見て驚いた。3時になろうとしていた。
シェフたち夫婦は必ず、ドアのそばで客を見送る。「気持ちの込もったやさしいお料理でした」と、あいさつして店を出た。その時、通路の奥に小さな中庭があるのに気づいた。やっぱり不思議なレストラン。ゆったりした空気をそのまま持ち続けたくて、途中にした買い物の再開を迷ったが、いつも眺める好きな店だけ見て歩いて帰路に着いた。
それ以来ごくたまに、その小さなレストランに行って、時々の気分で料理を選んで味わっている。夕食にも訪ねてみたいが、どうしてもランチになってしまう。夜にはこの空間はどんな感じになるのだろう。店を見回して想像する。ドアまでの長い通路はタイムマシーンのトンネルになり、店にはろうそくが登場するかもしれない。
久しぶりにレストランのホームページを開くと「移転のお知らせ」が目に飛び込んできた。いまの場所での営業は12月末で終了し、別な場所に移転する。震災が起きた2011年に開店し、15周年に新たな場所での再開という。
場所はまだ知らされていない。そこにも薄暗く長い通路や中庭はあるだろうか。それより、まちなかだろうか。水戸のまちなかから隠れ家レストランがなくなるのは寂しい。
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