

天空、銀河へと誘われ無重力に身をゆだねる
| 館野泉さんと賢治 |
10月末にピアニストの舘野泉さんの演奏を聴いた。名誉館長をしている南相馬市民文化会館で毎年開かれている恒例の演奏会で、今年は卒寿のお祝いコンサートでもあった。プログラムは前半がマグヌッソンの組曲「アイスランドの風景」と久保禎さんの構成・作曲の新作「花たんご~鹿児島の民話による叙情」、後半は吉松隆さんが構成・作曲した「KENJI~宮沢賢治によせる」だった。
その日、昨秋のインド・ブータン・ネパールの舘野さんの演奏旅行に同行した横浜の気賀沢忠文さんも南相馬を訪れ、一緒に聴いた。南相馬市民文化会館での舘野さんの演奏会は、気賀沢さんにとって亡くなった夫人の芙美子さんとの思い出がある。芙美子さんの曽祖父は夜の森の桜を植えた半谷清壽、祖父は夜ノ森駅のツツジを植えた六郎で、芙美子さんは子ども時代の9年間を夜の森で過ごした。
気賀沢さんは宮沢賢治と親戚でもある。母のキクさんの父の宮沢恒治さんは賢治の母のイチと姉弟で、キクさんは賢治といとこ同士。恒治さんは7人姉弟の5番目、1番上がイチだった。恒治さんたちの父の善治は、祖父の代からの雑貨商宮沢屋を宮沢商店に大発展させ、巨万の富を築いたといわれる。花巻銀行、花巻温泉、岩手軽便鉄道などの設立に尽力し、町議会議員も長く務めた。
演奏会はアイルランドの自然を堪能し、鹿児島の池田湖にまつわる民話「花たんご」の世界にどっぷり浸かり、休憩をはさんで「KENJI~宮澤賢治によせる」が始まった。「花たんご」と同じように「KENJI」も舘野さんのピアノとともに俳優の元田牧子さんが朗読し、音楽と言葉のコラボレーションになった。
賢治を好む舘野さんは「『銀河鉄道の夜』をテーマにした語りつき作品を書いてくれませんか」と、吉松さんに相談したという。その二十年ほど前、賢治生誕百年(1966)に吉松さんは「宮澤賢治によせるコラージュ風オマージュ」を作っていて、初演は原町(現在の南相馬市)の自然のなかで開かれたホースピア音楽祭だった。
「KENJI」はその「宮澤賢治によせるコラージュ風オマージュ」をベースに再構成して作られ、2015年6月に東京オペラシティコンサートホールで初演された。その夏には賢治作曲の「種山が原の歌」と「星めぐりの歌」を間奏曲に加えた改定版が手がけられ、南相馬での秋の演奏会で試演されている。
「KENJI」は「春と修羅 第三集」の作品1074番から始まる。
青ぞらのはてのはて/水素さへあまりに稀薄な気圏の上に/「わたくしは世界一切である/世界は移らう青い夢の影である」/などこのやうなことすらも/あまりに重くて考へられぬ/永久で透明な生物の群が棲む
次に「やまなし」。クラムボンはわらったよ……かぷかぷ、と。それから、賢治とトシを連想させるチュンセとポーセの兄妹が登場する「宛名のない手紙」。ポーセが亡くなり、チュンセはその行方を探す。4番目は雪の田んぼのカラスのさまざまな姿を詩にした「鴉百態」。そのあと「種山が原の夜の歌」と「星めぐりの歌」の演奏があって終盤に入っていく。
こんなやみよののはらのなかをゆくときは/客車のまどはみんな水族館の窓になる/(乾いたでんしんばしらの列が/せはしく遷つてゐるらしい/きしやは銀河系の玲瓏レンズ/巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる……
「オホーツク挽歌」のなかの青森挽歌。妹のトシが亡くなった翌年の夏、賢治はサハリンを旅し、車窓からの風景と心情を詠んだ。それは最後の「銀河鉄道の夜」へのプロローグにも思える。
8章からなる「KENJI」は各章が独自の世界を描きながら、根底に存在する賢治の思いの断片をつなげて物語を編んでいる。その世界は果てしなく広がり天空、さらに銀河へと誘い、無重力に身をゆだねる錯覚に陥り、しばらく演奏会の余韻から抜け出せなかった。
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