

美しくするために何をしよう
| 『世界をもっとうつくしく』 |
クリスマスに、気になっていた絵本『世界をもっとうつくしく』(ほるぷ出版)を買った。「絵本作家バーバラ・クーニーが残したもの」とサブタイトルがついていて、アンジェラ・バーク・クンケルさんの文と、イラストレーターのベッカ・スタッドランダーさんの絵、福本友美子さんの翻訳で、バーバラの82年の生涯と思いを伝えている。
バーバラは1917年、ニューヨークのブルックリン・ハイツにある祖父が建てたホテルで生まれた。材木商だった祖父、父は株のブローカー。画家だった母から絵具と筆を与えられた。ニューヨーク州のロングアイランドで育ち、夏にはメイン州の小さな海辺のまちで過ごした。
スミス・カレッジで美術史を専攻し、そのあと母の母校でもあるニューヨークの美術学校で、絵本作家を目指してエッチングとリトグラフを学んだ。初めての絵の仕事でアートディレクターに「黒と白だけで表現することを学びなさい」と言われたからだった。白黒の本は制作費を抑えられる出版界の事情もあったようだ。
バーバラは黒い板の表面を先のとがったペンなどで引っかくスクラッチボードという技法が得意で、白黒の作品を次々に制作した。第2次世界大戦で陸軍婦人部隊に加わり、その直後に出会った男性と27歳で結婚した。ふたりの子どもが生まれたものの、30歳で離婚。2年後、同じようにふたりの子どもがいる医師と再婚し、6人家族になった。
そのなかで、絵の仕事は作品によって白黒の世界に色の数が増え、42歳の時に『チャンティクリアときつね』で、アメリカで最も権威のある児童書の賞「コールデコット賞」を受賞。この作品は白黒のほかに5つの色が使われた。
その後、フランスやギリシャ、メキシコ、北アフリカやオセアニアなど、世界をあちこち旅し、晩年はメイン州の川のほとりに家を建てた。63歳の時に『にぐるまひいて』で2回目のコールデコット賞に選ばれ、「修業時代は終わった」と、絵本の文章も書き始めた。
65歳で代表作の『ルピナスさん』、その6年後に『ぼくの島』、さらに2年後、『おおきななみ』を出版。この3冊はクーニー自身が「自伝に最も近い絵本」と生前、話していたという。『ルピナスさん』の主人公アリスはクーニー自身、『ぼくの島』のふたりのマイサスは曽祖父と祖父、『おおきななみ』のハティーは母を描いている。
そして2000年3月、110冊を超える絵本を残し、82歳で亡くなった。
『世界をもっとうつくしく』を読んだあと『ルピナスさん』など3部作を久しぶりに開いた。母が育ち、クーニーが生まれたホテル・ボサートと、ちいさなマイサスがつながる。体調を崩してベッドで楽しそうに絵を描くバーバラと、風邪をひいてベッドで絵を描くことにしあわせを感じていたハティーに「同じね」と思う。南の島など遠くの国々を旅したあとに海の見える家で暮らし、ルピナスの花のたねを蒔くアリスは、やっぱりバーバラだと思う。
バーバラの絵本は女性の生き方を描いたものが多い。『わたしは生きているさくらんぼ』では「なんにでもなれるのよ」と、ちいさな女の子たちにエールを送る。『おちびのネル』は社会福祉活動で有名なルーズベルト大統領夫人のエレノアの子ども時代、『エミリー』では長く外に出ないで暮らした詩人のエミリー・ディキンスンの日常を描いた。
それらの中心にあるのは「わたしはわたし」という凜とした姿勢で、日々の暮らしのすてきさを伝え、生きる意味を問いかける。『おおきななみ』だって画家になることを決めたハティーの姿に信念を持って生きる美しさ、すがすがしさが漂う。
ストーリーは違ってもその根底には『ルピナスさん』でアリスがおじいさんと約束した「世の中をもっと美しくするために何かすること」がある。アリスがルピナスのたねを村中に蒔いたように、それぞれが世の中をもっと美しくするために何かすれば世界は変わる。
『世界をもっとうつくしく』は女性の生き方だけではなく、続いてきたいのちの輪、みんながいてのわたしという存在も意識させる。最後のページには、いちめんのルピナスを背にたたずむバーバラが描かれている。
世の中を、もっと美しくするために、なにをしよう。
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