563号 沖さんの思い出(2026.8.15)

画 黒田征太郎

 

  学生時代の夏
  東北一周の旅で世話になった恩人との邂逅      

沖さんの思い出

 

 大学2年生の夏、友だちと2人で東北を巡った。新宿三越のワイシャツ売り場でアルバイトをして旅費を貯め、テントとシュラフを持っての旅だった。さすがに疲れてバンガローや安宿に泊まったこともあった。
 いわきから山形県の天童、酒田と回り、青森県の竜飛崎から奥入瀬を通って十和田へ。さらに八戸から宮城県の松島、仙台経由で帰ってきた。本州の最北端、龍飛崎からは対岸に北海道が見えて海を渡りたくなったが、懐具合のこともあり、ぐっと我慢した。鉄道とバスと徒歩での5泊6日。若さゆえの強行日程といえた。
 行きたい場所があった。八戸郊外の扶桑牧場。好きだった競走馬のアサカオーが種牡馬として余生を送っていて、どうしても会いたかった。電話をして場所を確認し、バスで向かった。道のりは遠かったが何とかたどり着き、スタッフの男性に親切にしてもらった。
 その男性はジープで2人を八戸市街まで送り、旅館も世話してくれた。本八戸駅近くのしっとりとした、いい宿だった。ちょうど七夕で、浴衣を着た女性や子どもが街を歩いていた。
 世話になった男性にお礼の手紙を書きたいと思って住所を尋ねると、牧場の住所を書いてくれた。縁をつなぎたかったのだと思う。勇気を出して「名前もお願いします」と言うと「沖」と名字だけ書いた。すぐ礼状を出したが、そのままになった。
 今年の春先だったと思う。ネットを見ていて、ある記事が目に止まった。中央競馬会の調教師を引退した男性のインタビュー記事で、2019年3月のアップだった。菊花賞馬のナリタトップロードを育てた沖芳夫さんが自らの人生を語っていた。ずいぶん枯れていたが、目元が優しい。まさしく、あの沖さんだった。牧場でのひとときが、まざまざと蘇ってきた。
 沖さんは東京農業大を卒業したあと、生産牧場の経営を夢見た。1学年先輩から声をかけられ、八戸の扶桑牧場で2年半働いたあと、北海道静内の牧場に移ってやはり2年半。しかし思うようにいかず、調教師になることを勧められて栗東トレーニングセンターの大久保石松厩舎に入り、調教助手になった。その後、3回目の挑戦で調教師試験に合格。32年にわたって調教師を務めたという。
 資料を見ると1949年生まれだから4歳年上。八戸の牧場で会ったときは24歳ぐらいだったことになる。お互い若かった。
 あれから50年。笑顔の沖さんを見たら、遠い昔に受けたさりげない優しさが体中に染み渡り、心がぽかぽかした。

                                       (安竜 昌弘)

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