第514号

514号
2024年7月31日
ジョー・オダネルさん撮影の「焼き場に立つ少年」。その後、少年が無事に生き延びられたかはわかっていない

    ジョーさんと「焼き場に立つ少年」

 どこかで目にしたことがあるだろう。「焼き場に立つ少年」。撮影したジョー・オダネルさん(享年85)は終戦から半月ほど経った9月2日、占領軍のカメラマンとして佐世保に近い海岸に上陸した。それから7カ月、空襲による被害状況を記録する命令を受けて、広島や長崎など焦土と化した日本各地を歩いた。帰国したら母に見せようと、休日には私用のカメラで撮っていた。
 ある日、ジョーさんが長崎の小高い丘から下を眺めていると、白いマスクをかけた男たちの姿が目に入った。浅い穴が掘られた川岸で、その男たちは亡くなった人たちを火葬する作業をしていた。荷車で運ばれてきた遺体の手と足をつかみ、そのまま勢いをつけて火に投げ入れる。それで終わり、だれも灰を持ち帰ろうとしない。
 やがて10歳くらいの少年が焼き場にやってきた。それからのことは、ジョーさんの写真集『トランクの中の日本』(小学館)に詳しく書いてある。

 (少年の)小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着て、はだしだった。背中には2歳にもならない幼い男の子(少年の弟)がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで、見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらなかった。
 少年は焼き場のふちまで進むと立ち止まり、わき上がる熱風にも動じない。マスクの男たちは男の子を下ろし、足元の燃えさかる火の上にのせた。間もなく脂の焼ける音がして、炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。
 気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばし、気をつけの姿勢でじっと前を見続け、焼かれる弟に目を落とすことはなかった。(炎が鎮まると)急に回れ右をして、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。1度もうしろを振り向かないまま。

 ジョーさんはファインダーを通して、直立不動の姿勢で弟を見送る少年を見守り、声をかけることもできないまま、もう一度、シャッターを切った。その時、少年の唇に血が滲んでいるのに気づいた。あまりきつく唇を噛みしめていたため、流れることもなく、下唇がにじんでいたのだった。
 この少年の姿に、ジョーさんは初めて軍隊の影響が幼い子どもにまで及んでいることを知った。何の感情も見せず、涙も流さない少年のそばに行って慰めたかったが、それもできなかった。もしそうしたら、必死でこらえている少年の気力を失わせてしまう、と思ったからだった。なすすべもなく、ジョーさんは立ち尽くしたという。

 宣教師など人々のつながりのなかで、会津若松市西栄町の若松栄町教会は「焼き場に立つ少年」を含むジョーさんの写真約30枚を所蔵している。2021年から毎年夏に「ジョー・オダネル平和写真展」を開催していて、今年も8月3日から7日まで教会に展示される。


 特集 ジョー・オダネルさんの思い

同じことが二度と繰り返されないように
1945年の日本出何が起きたのか

アメリカ海兵隊のカメラマンとして、終戦直後のジョー・オダネルさん。「焼き場に立つ少年」がよく知られている。43年後にある出会いから「再び開くことはない」とトランクに封印した300枚のネガを公開した。ジョーさんの人生を振り返りながらその思いを紹介する。その写真を約30枚展示する「ジョー・オダネル平和写真展」が月3日から7日まで会津若松西栄町の若松栄町教会で開かれる。

カメラマンとして
写真展の開催
晩年とそれから

若松栄町教会のはなし
野口英世が洗礼を受ける
築110年を超える建物

未来が少しでもましな方に動くように
輝美さんが社会活動をするきっかけになったのは「九条の会」。3.11以降は「子ども脱被ばく裁判の会」の共同代表などを務め、比較的線量が低いと言われる会津で、さまざまな活動をしてきた。その人生や思いを輝美さんに聞いた。

PERSONA 
会津放射能情報センター代表 片岡輝美さん

 『屋上に立つ」佐世保市庁舎の屋上から市街地を撮影するジョーさん
 記事

いわきエブリア」のこと

「いわきエブリア」が混迷している。当初の6月10日に一期オープンが8月10日にずれ込み、人気店「カーテンのトビタ」が退店することになった。現状を取材した。


メトロノーム 再生エネルギー
 
いわきの山に87基の風車が立つ。しかも送電線を東京電力と東北電力が持っている関係で、自区内処理とは行かない。現在の再生エネルギー事情を取材した。などを聞いた。

日々の本棚 『未来のソフィーたちへ』 ヨースタイン・ゴルデル著


私の本棚『遠い声/浜辺のパラソル』川本三郎著


シネマ帖 アンゼルム“傷ついた世界“の芸術家




 連載

木漏れ日随想(23)佐藤晟雄
グーテンベルグ博物館


 コラム

刊Chronicle 安竜 昌弘

53年前の記事

記者はその現場で何を伝えるのか 深く考えたい