515号 2024年8月20日 |
「地面のためいき」に耳をすます
いわき市に住むアーティストの竹内公太さん(41)の作品「地面のためいき」が8月12日まで10日間ほど、勿来町関田の体験学習施設「吹風殿」に展示されていた。そばにある、いわき市勿来関文学歴史館で開かれている企画展「語り伝えたい記憶~風船爆弾と学徒動員」(9月1日まで)の関連の催しで、5月にも期間限定で公開された。
太平洋戦争末期の1944年11月から5カ月ほどの間に、日本軍はアメリカに向けて風船爆弾を放った。和紙とこんにゃく糊で作った直径10mの大きな気球に爆弾や焼夷弾をぶら下げたもので、勿来や北茨城の大津などの基地から水素を充たして空に放ち、冬の日本上空を吹き抜けている偏西風にのせて飛ばせば、2、3日でアメリカ本土に到達して爆弾や焼夷弾を落とすという奇想天外な秘密兵器だった。
約5カ月間に日本から9300発ほどの風船爆弾が放たれ、数百から1000発が北アメリカ大陸にたどり着いたとされている。竹内さんは2018年、アメリカの国立公文書館に保管されている米軍情報部の記録をもとに、風船爆弾の30カ所以上の着地・目的場所を訪ねた。3年後の2021年にはワシントン州のハンフォードの周辺を歩いた。
ハンフォード・サイトは原子爆弾を開発するマンハッタン計画でプルトニウムが作られていた。核施設の建設にあたり、アメリカ政府は先住民の土地を奪い、白人農家の土地を安く買い叩き、人々は別の場所への移住を余儀なくされた。
1945年2月15日、ハンフォード・サイトの敷地境界のラトルスネイクという山の麓で風船爆弾の1部が見つかった。知らせを受けた軍やハンフォード・サイトの関係者が駆けつけ、写真を撮ったという。
竹内さんはハンフォード周辺を歩いた際、その場所を探して訪ね、かつて風船が横たわっていた地面を撮影した。後日、その地面の写真を風船爆弾と同じサイズになるように貼り合わせ、送風機を使って大きく息を吸い、ゆっくり吐く動きを繰り返す作品を制作した。
それが「地面のためいき」。7、8分ほどで大きく膨らみ、20分以上かけてしぼんでいく。前に立って眺めていると、遠く7750㎞ほど離れた大地を感じ、不意に鳴き始めたツクツクボウシの声に現実へと引き戻される。
「この作品はどうしても原子力や戦争のはなしがクローズアップされてしまうが、ハンフォードは原発事故が起きた福島が復興の成功モデルとしている。先住民から土地を奪って造られたハンフォード・サイト。福島では原発事故で住民は避難せざるを得なかった。それに風船爆弾は福島からも飛んでいた。因縁のようなものを感じる」と、竹内さんは話している。
特集 木村医院の91年 |
ALS患者として自分の生き方を探っていく
初代・木村守江、2代目・木村泰夫、3代目・木村守和。いわき市四倉町の木村医院は3代・91年の歴史を持つ。そんな中。守和さんが何秒の「筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患していることがわかった。地域で在宅医療を担ってきた木村医院はこれからどうなっていくのか。木村医院の歴史と守和さんの思いを紹介するる。組みも紹介する。
うまく引き継ぎながら役割を果たしたい
木村医院の始まり
3代目として
地域医療の道へ
難病と向き合う
恩師との交流
これからの医療
記事 |
山口洋太さんのはなし
医師不足解消へ超党派で行動
昨秋の県会議員選挙で、新人ながらトップと1票差で2位当選を果たした山口さん(34)。今年2月には一般質問をし、いわきの医療についてただした。当選から8カ月。県議としての思いを聞いた。
市議選の候補予定者に聞く
いわき市議会議員選挙が9月1日告示、8日投開票で行われる。定数38人に対して50人弱が立候補すると言われていて、激戦が予想される。そのうち市職員を辞めて選挙に出る草野大輔さん(36)と小野光貴さん(31)から話を聞いた。
提言型の議員をめざしたい
草野大輔さんのはなし
もっとやりようがあるはず
小野光貴さんのはなし
日々の本棚
無知は罪、でも無口はもっと罪
『原発を止めた裁判官による保守のための原発入門』
樋口英明著 岩波書店刊
白球有情
低反発バット導入で高校野球が変わった
連載 |
踊るこころものがたり2
ハワイアンズのステージに46年立ち続ける
齊藤和雄さんのはなし
木漏れ日随想(24)佐藤 晟雄
水戸空襲の日
DAY AFTER TOMORROW(258) 日比野 克彦
肥後朝顔のこと
200年続いてきた植物と人間の対話の物語
コラム |
ストリートオルガン(193) 大越 章子
絵本『夜の木』
時空を飛び越え大切なことを語りかける