第558号

558号
2026年 5月 31日
藤田女学校の制服を着た18歳の君子

 

    生れきて18年のわれの
    この清きほこりを高くかかぐる

 5月半ばというのに気温が30度まで上がった暑い日に、夭折した歌人の田部君子の生家を訪ねた。いわき市遠野町上根本小谷にある。うしろを小さな川が流れ、坂の上の石垣をめぐらした大きな家と聞いていた。たぶん…と思ったが、近くの家で教えてもらうと、やっぱりそこだった。

 君子は1916年(大正5)5月13日生まれ。平にあった藤田女学校に在学していた17歳のころから、太田水穂が主宰する短歌結社「潮音」に加わり、本格的に短歌を詠むようになった。短歌雑誌「潮音」に投稿を始め、水穂、副主宰の四賀光子夫妻から高く評価され、期待もされた。
 20歳で父が決めた相手と結婚。内郷高野の大家族のなかで短歌への理解が得られず、23歳の時に婚家を出て、東京で再出発しようとした。しかし日中戦争が激しくなり、短歌の世界も戦時色が濃くなる。「潮音」にも戦争賛歌がずらりと並び、1939年(昭和14)12月号への投稿が最後になった。
 その後、君子は再婚したが、肋膜炎が悪化して、終戦前年に27年の生涯を閉じた。短歌の創作は17歳から23歳までのわずかな期間とされている。
 時を経て1997年、君子のすぐ下の妹の春子が77歳で亡くなり、春子のふたりの娘たち、池部淳子さんと池部道子さんが遺品を整理していて、君子の短歌を春子の字で書き写した原稿用紙の束を見つけた。それは瑞々しく美しい、そして気高く潔い歌で、ふたりは春子の3回忌に『田部君子歌集』を作って、親戚などに渡した。
 不思議な巡り合わせで、君子の歌集は池内紀の著書『戦争よりも本がいい』(講談社・2014年出版)で取り上げられた。2021年には当時、いわき市勿来関文学歴史館の館長だった中山雅弘さんが、古書店で歌集と出合ったことをきっかけに、「田部君子―清きほこりを高くかかぐる」展を勿来関文学歴史館で開いた。
 さらに2024年、平のまちなかで「田部君子フェスティバル」も行われ、ゆかりの地を歩き、君子の作品にふれるなどした。歳月の重なりに埋もれていた君子とその作品が、歌集をきっかけに少しずつ人々に知られるようになっている。

 君子の生家は1980年代に建て替えられ、昔日の面影はない。それでもバッグから君子の歌集を取り出してその場で読んでいると、君子の姿がうっすらと立ち上がってきて、わたしたちに語りかけてくる。


 特集 湧く歌心あそばせてをり 生誕110年 田部君子

清くほこりを高くかかぐる人
 入遠野出身の田部君子(1916-1944)は藤田女学校時代から短歌を詠みはじめ、短歌雑誌「潮音」に投稿するようになった。その短歌を紹介するとともに、27年の短い生涯を追いながら、周辺の人たちに話を聞いた。

『田部君子歌集のこと』
家と個の間で
歌人 三原由起子

池部淳子さんのはなし
君子の思想的判断で決断

中山雅弘さんのはなし
埋もれている人に光を当てる

北林由布子さんのはなし
街や時代とリンクさせる歌集の力

息子の紀久雄を抱いた26歳の君子

 記事

戦争について考えよう
ダニー・ネフセタイさんのはなし
歴史を学び問題の本質を知る
いわき九条の洄憲法記念講演会が4月29日、いわき市文化センターで開かれ、イスラエル出身のダニー・ネフセタイさん(69)がイスラエルとパレスチナ問題について、二千年前の因縁から話した。そして「いくら軍備を増強して強い国をつくっても戦争になったらおしまい。そうさせないためには教育と外交が大事」と訴えた。

GALLERY見てある紀
堀内誠一展
6月7日まで いわき市立美術館
時代を超えて変わらぬまなざし

 連載

阿武隈山地の絶滅危惧種 ㉝ 湯澤陽一
ミズニラ シダ類 準絶滅危惧

木漏れ日随想(65)佐藤 晟雄
昔懐かし新国劇

 コラム

ストリートオルガン(210) 大越 章子

ひょっこりひょうたん島のまち
だけどボクらはくじけない
泣くのはいやだ笑っちゃおう