第564号

564号
2026年 8月 31日

    祭りのあとのグラウンドにて

 ことしの夏は、東日本国際大学附属昌平高校野球部のプレーに一喜一憂した。
 創部27年目での甲子園初出場。いわき地区としても、1995年の磐城高校以来31年ぶり。県大会の決勝を球場で取材し、甲子園での3試合をテレビで見ていくなかで、このチームが持っている、高ぶらない気高さのようなものに、魅せられていった。涼しげな表情で淡々とプレーをし、爽やかな笑顔でお互いを励まし合う。そこには、これ見よがしのガッツポーズも号泣もなく、勝っても負けても静かだった。

 昌平高校野球部は2000年(平成12)に生まれた。初代監督は、1971年(昭和46)に磐城高校を甲子園準優勝に導いた須永憲史さん(故人)。まさに一からのスタートで、グラウンドさえなかった。手分けして部員を集め、地道な基礎練習から始めた。正確なキャッチボール、ゴロの捕球、トスバッティング…。そうした反復練習が果てしなく続いた。「危険」という理由で1年間試合に出ることを自粛したために、1期生たちのなかには辞めていく部員もいた。華やかな甲子園出場の裏には、そんな歴史もある。

 新チームの練習が始まった21日、江井康胤監督(55)をインタビューし、その人生を聞いた。祭りのあとのグラウンドでの「新生・昌平」のスタート。メディアが取材に来ていた。スローガンは「挑戦(チャレンジ)」。江井監督は記者の質問に「まだ、何をすればいいのか、という戸惑いのようなものはあるでしょうから、これからチームとして1つの方向に向かっていけるようになれれば、と思っています」と答えていた。
 さらに4日後、ユニフォームを撮影するために、グラウンドへの坂を登った。江井さんが甲子園仕様のユニフォームを用意してくれた。白地に縦のストライブ、胸には黄色い縁取りに濃紺で「KOKUSAI」、袖には「いわき市」と「東日大」の文字。大学のものとほぼ同じで、江井さんが就任したときに決めた。浮ついていなくてオーソドックスなデザイン。目を奪われるような派手さ、自己主張がないので、「このチームらしい」と思った。これから、このユニフォームが伝統の象徴になっていくのだろう。

 「ヒガシニッポンコクサイダイショウヘイ」。甲子園では、この長い校名が何度呼ばれたことか。選手たちは、初出場だというのに3回試合をし、思う存分戦った。そして、そのプレーに釘付けになった市民たちは、有明(熊本)との戦いに敗れたあと、なんとも言えない喪失感に見舞われた。でも夏は終わり、グラウンドでは秋に向けての戦いが始まっている。


 特集 東日本国際大昌平の夏

東日本国際大昌平が創部27年目で甲子園初出場を果たした。その原動力は何だったのか。その歴史を振り返り、江井康胤監督やエースの照沼佑崇選手などに取材した。

石河智さんのはなし
ひたすら基礎練習を反復した
創部に関わり、約20年にわたって部長を務めた石河智さんに話を聞いた。

昌平野球部事始め
これまでの監督は5人

江井監督が振り返る甲子園の道
敗戦をばねに努力で借りを返す
新人戦で日大東北に逆転負けを喫したあと、チームはどう再生したのか。県大会、甲子園での戦いぶりを含めて江井監督に振り返ってもらった。
秋のつまづき
データ分析班のこと
甲子園で

江井康胤さんのこと
考える力をつけてプレーに生かす
千葉県野田市出身の江井さんのルーツは双葉郡の大熊町。しかも相馬家の家臣・江井家の本家。代々、名前に「胤」をつけてきた。東北福祉大やJTで主力選手として活躍した江井さんのこれまで、チームづくりなどを聞いた。
恩師との出会い
東日本国際大へ
チームづくり

照沼佑崇さんのこと
それぞれの考える力が合わさって甲子園に
クールで爽やかな照沼佑崇選手。甲子園で3試合に投げた。父や恩師、本人からの話を通して、佑崇さんの思いを伝える。
夢は甲子園
昌平高校野球部
甲子園のマウンド

東日本国際大学附属昌平のエース照沼佑崇さん

 連載

パンドーラーの箱 福島の海から考える 25 天野光
福島第一原発の港湾に流れ込んでいる放射能

いわきに伝わる天気ことわざ 7 島田栄二郎
上・中旬は盛夏。下旬は晩夏(秋霖)