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 震災後だった。ある写真集の出版パーティーに顔を出した。そこに福岡県出身の若手カメラマン、田代一倫さん(33)がいた。それが488ページにも及ぶ写 真集づくりの始まりになった。

  7歳まで福岡にいて、横浜に引っ越した。新興住宅街のたまプラーザ。まちそのものが画一化されていて、すべてが同じく年を重ねていく。不思議な違和感を覚え、愛着が持てないままに過ごしてきた。断片的な記憶しかないが、ふるさとと呼べる場所は福岡だった。
  大学に入ってからは、映画や写真に興味を持つようになった。特に惹かれたのは、極限まで虚飾を取り除いた作品で知られる、フランスの映画監督、ロベール・ブレッソンと、抑制の効いたドキュメンタリー映画を世に出した佐藤真。その世界に入り込み、卒論のテーマにまで発展していった。それは充実した楽しい時間だった。
  隔年開催の山形国際ドキュメンタリー映画祭にも何回か参加した。夜な夜な酒を酌み交わしながら続けられる映画の話。作家もスタッフもファンも一緒になって語り合う。そんなわくわくする時間のなかで、ふと思った。
  「ここにいる人たちと来ない人たちの溝はたぶん、ずっと埋まらない。ならば自分が間に立って、つながる言語を持ちたい」
  そんな思いを胸に編集・出版の道に入った。編集も取材も原稿書きも、ひと通 り経験した。ひたすら時間に追われて、睡眠不足の日々が続いた。会社をいくつか変わった。
  2007年7月、団塊世代向け雑誌の編集スタッフをしていたとき、会社のパソコンで訃報を目にした。「佐藤真さん死亡 享年49」。悲鳴が漏れた。ずいぶんと遠くに来てしまっていた。佐藤真という原点を失ったことで、いかに自分が勝負することから逃げていたか、与えられたもので気を紛らわせていたのかを、思い知らされた。そして、その3年8カ月後に震災が起こった。

  田代さんが撮った1枚の写真がある。福岡市の室見川に架かっている橋から、上半身裸の少年が飛び込もうとしている。少年の目は真っ直ぐカメラを見ていた。その写 真と、遠い記憶のなかにある自分の原風景とが重なり、「もっと田代さんの写 真を見てみたい」と思った。
  そのころ田代さんは、カメラをぶら下げて東北の被災地を巡り、声をかけて写 真を撮っていた。すべて同じ構図で、人物を真っ正面からとらえたものばかり。その単調な1枚1枚は、おしゃれでも派手でもない。過剰な演出が施されていないからこそ、真実味や現実がじわっと伝わってきた。
  イメージがひとり歩きして、一般化された東北やフクシマではなく、1人ひとりが生きているというあかし。田代さんはそれを丁寧に記録しようとしているんだろう、見る側に提示し、感じ考えてもらおうとしているんだろう、と思った。そして映像と写 真の違いはあるが、佐藤真の「阿賀に生きる」や「まひるのほし」の世界と重なった。ドンというインパクトではなく、染み入るような気づき...。そこには共通 した何かがあった。
  「本が乱発し、断裁され続ける出版の世界で、絶版にしない本を、百年後も読み継がれる本を作っていきたい。里山のように、忘れていた原風景のような、スタンダードに良い本を」
  田代さんの写真は、この思いをかたちにするのにふさわしい気がした。それには、自分が最初から携わり、最後まで責任が持てるかたちにする必要があった。たった1人で出版社「里山社」を立ち上げ、田代さんが2年間に撮影した1200人を453人に絞って、時系列に並べた。「写 真とぴったり合う本にしたい。それには奇をてらわず、時間がたっても古びないこと」と、デザイナーの鈴木成一さんに装丁を依頼し、民俗学者で福島県立博物館長の赤坂憲雄さんなどに文章を寄せてもらった。こうして『はまゆりの頃に 三陸、福島2011〜2013』はかたちになった。
  本が完成して手にしたとき「たたずまいが美しい本になった」と思ったという。次は12年前に44歳で急逝したノンフィクション作家、井田真木子さんの作品をまとめたいと思っている。




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